2023年の大河ドラマの舞台は戦国時代から江戸時代初期、主人公は徳川家康です。
ドラマは1560年の桶狭間から始まりました。徳川家康は1616年に亡くなりますので、56年間を、1年間で描くことになります。

徳川家康を主人公とした大河は、第21回(1983年)「徳川家康」、39回(2000年)「葵 徳川三代」以来、3回目です。
前年(2022年)の「鎌倉殿の13人」の最終回で徳川家康が登場して話題になりました。
「どうする家康」には原作はありません。オリジナル脚本です。
脚本家は古沢良太(こさわ りょうた)さんです。
ALWAYS 三丁目の夕日(2005年)や探偵はBARにいる(2011年)、コンフィデンスマンJPなどを手掛けてきました。
コミカルもうまく取り入れることができる脚本家です。
時代考証は小和田哲男さんと平山優さん、柴裕之さんです。
平山優さんはTwitterで頻繁に情報を発信していらっしゃいます。フォローすると色々な裏話聞けるかもしれません。
ドラマの舞台となる時代については下記にまとめています。ご参照ください。
あらすじ/ネタバレ/雑学
第1回 どうする桶狭間
ドラマは1560年の桶狭間の戦いから始まりました。
松平元康(のちの徳川家康)は、数えで19歳。満17歳。
織田軍と今川軍との争いの中、味方のいる大高城へ、兵糧を運ぶ任を任されます。兵糧を運び込むためには、敵陣を突破しなければなりません。
一方で、今川家は今川義元自ら指揮をして織田軍と戦うつもりで出陣しましたが…。
初回から怒涛の展開でした。
疾走する馬にまたがった織田信長が、今川義元の首を槍の穂先にさして、その槍を投げるシーンには驚きました。
そして、戦場に野晒しの状態で転がっている今川義元の首…。
今川家は足利家に連なる名家なんですが…
最近の研究で織田信長像もだいぶ変わってきていますので、果たして首を転がしたままにするでしょうか…
さて、ナレーションでは「神君・家康」と称えながら、ドラマで描かれる姿は、弱虫、泣き虫、へなちょこな殿様です。コミカルな脚本です。
意外だったのが、瀬名(のちの築山殿)との関係です。
イメージとして、正妻・築山殿と家康の関係は良くない、というのが頭にありましたので、互いに好いて結ばれたという設定が意外でした。
とはいえ、人の心は移ろうものですので…。
また、初回から重要な登場人物が目白押しでした。徳川家康を支える多くの人物が登場しました。
石川数正、酒井忠次(徳川四天王)、鳥居元忠、大久保忠世、平岩親吉…、そして本多忠勝(徳川四天王)。
ところで、夏目広次ってどなた?
調べてみると、三方ヶ原の戦いで活躍したようです。
初回に関して時代考証の平山優さんのTweetが参考になります。
https://twitter.com/HIRAYAMAYUUKAIN
- (1)家康はただの人質ではない。そして惨めな駿府時代を送ってはいないことを表現する。(中略)惨めな人質生活というのは、江戸時代に創作されたものでしょう。家康が幼い頃から惨めで苦労したとすることで、天下人に登り詰めたことが一層引き立つからです。
- (2)家康は、今川義元から極めて大事にされていた(中略)当時ならば、築山殿の方が家康よりも格上でした。なんと言っても、今川一門ですからね。これにより、家康は今川一門格となり、地位が向上します(中略)家康と氏規は相婿の関係となり、今川一門衆となります。義元がこうした婚姻を実施したのは、男子の兄弟がいない氏真を支える一門として、家康と氏規を考えていたでしょう。
- (3)大高城は当時海岸近くにあった。
- (4)大河ドラマは、歴史を舞台にしたヒューマンドラマであり、群像劇です。大まかな年表としての出来事は外さず、物語が展開していきます。ですが、ドラマとしての内容は、フィクションです。端的に申し上げれば、同じ徳川家康を題材にした専門の歴史書と歴史小説は違うのと一緒です。
- (5)家康と岡崎家臣との関係は、徐々に形成されていったもの(中略)家康は駿府で成長しており、岡崎の家臣らとは距離がありました。だから、顔もみたことのないとか、おぼえていないとか、うっすら記憶にあるとか、それが実際のところ。(中略)家康は駿府で成長しており、岡崎の家臣らとは距離がありました。だから、顔もみたことのないとか、おぼえていないとか、うっすら記憶にあるとか、それが実際のところ。
第2回 兎と狼
織田信長の描かれ方は、真っ赤な衣装を含めて、賛否両論ありそうです。
でもまぁ、ドラマですから。
さて、大高城で織田信長軍に囲まれ、松平元康勢は孤立しますが、なぜか織田信長は引き揚げます。
岡崎城から今川勢が逃げ出したことを聞いた家臣らは、岡崎に帰ろうと言いますが、元康は駿府に戻ると聞きません。
ですが、駿府に戻ろうとする途中で、大草松平家の松平昌久に襲われ、命からがら菩提寺の大樹寺に逃げ込みます。
ここにいたのが、榊原小平太(のちの榊原康政)でした。徳川四天王の一人です。(残るは井伊直政だけです)
大樹寺を松平昌久に囲まれた元康は先祖の墓の前で自害しようとします…。
先祖の墓のあるところから見える「厭離穢土 欣求浄土(おんりえど ごんぐじょうど)」の文字。
徳川家康の馬印に用いられたことで知られています。
ドラマでは「汚れた世を浄土にすることを目指す」という意味で語られました。
さて、寅の年、寅の日、寅の刻に生まれた徳川家康ですが、ドラマで実際は兎の年に生まれたのを、数日ずらして寅の年生まれにした、と描かれました。
寅のように強い大将は表向き、実は、兎のように臆病で警戒心が強い大将、というのがドラマの松平元康になりそうです。
第3回 三河平定戦
松平勢はいつまでも来ぬ今川軍に不信感を抱き始めます。
家臣は今川を裏切って織田に寝返ることを考え始めますが、元康は駿府に残した妻子が心配でなりません。
そんな中、元康を訪れてきたのが伯父の水野信元と母・於大でした。
水野家は神君・家康公の恩母君の実家です。江戸時代には、譜代大名の一つになります。
この水野家からは幕府の老中が出ており、天保の改革の水野忠邦が有名です。
とはいえ、水野信元の直系子孫ではありません。水野信元は水野忠政の次男で、四男の水野忠守の家系から水野忠邦が誕生します。
阿部寛演じる武田信玄が話題になりました。約1分程度の短いシーンに「テルマエ・ロマエ」を彷彿させたため「テルマエ信玄」と沸き上がりました。
織田信長や、武田信玄、飯富昌景の人物造形は、従来型の人物像をデフォルメした印象です。演出側のスタッフのイメージがそうなでしょうか…。
第4回 清州でどうする!
暗雲立ち込める清州城へ織田信長に会いに行く松平元康一行は、中国の宮殿さながらに巨大な中庭があり、2段上に豪華な建物がある城に驚きます。
これには見ている方も驚きました。
脚本では「1562年(永禄5年)1月清須城 城門が開いてゆく。到着している元康、左衛門尉、数正、彦右衛門、七之助、平八郎ら、みな唖然としている」としか書かれていません。
https://twitter.com/hirayamayuukain/status/1620355059505860615?s=46&t=83sl88asuDjQAn5crqZmVw
演出、美術、技術スタッフの解釈で、宮殿になってしまったようです。
初回から織田信長が登場するシーンは、何やら禍々しさがある感じで続いてきておりますが、第六天魔王をイメージしているのでしょうか。
さて、初登場となるお市と元康は、元康が織田家にいたころからの顔なじみで、お市が恋心を抱いていたという設定でした。
そのお市が元康を連れて清州城下を一望できる丘に連れていき、清州の発展を見せつけます。
ですが、残念なことに、清州周辺には城下を一望できる丘はありません…。
お市同様に初登場の木下藤吉郎は、時折見せる裏表のある表情に狂気を感じました。今後に期待が持てそうです。
妻の瀬名を駿府に残していることに気が気でない元康ですが、その瀬名を奪い取ろうとする今川氏真はあまりにもゲスでした。
松平元康が今川から離れて織田方についた決定打は、今川氏真に怒りを覚えたからでした。
そして、今川家を滅ぼす決意をしたのです…
第5回 瀬名奪還作戦
この5回目は必要な回だったのでしょうか…。
第6回目と一緒にすれば良かったのではないかと…
ドラマの本筋に一切関係せず、新しい登場人物を紹介しただけの感じで、本筋は次回へ持ち越しとなりました。
さて、駿府にいる瀬名と子供たちを取り戻すために、大久保忠世の推薦で本多正信が登場しました。
本多正信は、家康、秀忠と2代にわたって徳川政権の中枢を支え、家康からは唯一「友」と言われた家臣です。
陰謀・策謀型の人物の印象がありますので、陰鬱な感じのイメージがありますが、ドラマではテキトーな感じの人物として登場しました。このキャラのまま行くのでしょうか?
本多正信は瀬名親子を盗み出すつもりで、服部党の服部半蔵に依頼をします。
服部半蔵は忍者の元締めのイメージですが、武士であり、徳川十六神将の一人です。
今の皇居(江戸城)半蔵門の由来となった人物でもあります。(半蔵門由来には諸説あります。)
ですが、盗み出すことに失敗します。
第1回で大高城へ兵糧の運び込みを行った際の城代・鵜殿長照(うどの ながてる)が妹・お田鶴(おたづ)を使って、関口家の動向を探り当て、待ち伏せしたからでした。