蓮實重彦「見るレッスン 映画史特別講義」の読書備忘録(要約と紹介と感想と)

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映画研究者・映画評論家としても有名な第26代東京大学総長・蓮見重彦氏による映画に関する新書です。

蓮見氏自身は新書を書くつもりはなかったそうなのですが、様々な経緯から新書を発行することになったようです。

蓮見氏は映画作家にしか興味がないと述べています。俳優や物語にはそれほど興味がないようです。

そして、「ショット」に特別の興味を抱いているようです。「ショット」の巧い監督を高く評価し、キャメラマンを高く評価しています。逆に、そうでない監督には、辛辣な評価を下しています。

はっきりと好き嫌いを書いているのが特徴と言えるかもしれません。

ここでは読んで気になったフレーズを紹介したいと思います。

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はじめに 安心と驚き

気に入ったものを発見して、ある程度好みがかたまってきたと感じたなら、今度はちょっと違うものに触れてみようという気持ちを持つことも必要です。

蓮見重彦 見るレッスン 映画史特別講義 p4

ほとんどの人は物語を見て、あとは裏事情が気になるかどうかという状況で、2時間ちょっとという上映時間はあまりに長すぎると思います。1時間45分でまとめろよとわたくしは思いますが、しかし2時間ちょっとの間、劇場に行くというのは特権です。義理ではなくて特権を行使するなら、その映画の最も優れたところを見なければいけない。その最も優れたところは、目を見開いていないと絶対に見えない。見ることのレッスンというものが、かりに存在し得るとしたら、どのような瞬間に目を見開くべきかを習得するということであり、実際にある程度分かるものです。

ところが、これから本編で詳しく述べるように、映画がある程度分かるという気持ちは安心感をもたらすものですが、その安心感を崩すような瞬間が映画には必ずある。だから、映画を見て、まず驚かなければならないし、どぎまぎしなければならない。しかし、そのどぎまきする感覚をいかに「これは映画だ」という安心感の中で得られるか、どれだけ驚けるかということが、見ることのレッスンだと思います。

さらに、驚きばかりを求めるだけでは駄目だし、安心ばかりしていたのでもいけない。安心と驚きの中で、絶対に崩してはならない平衡状態のようなものはない。ある時はひたすら驚いても構わない、またある時はひたすら安心しても構わないということが、まず映画を見るうえで一番重要なことです。

ですから、一篤の楽映画を安心してずっと見ていたとしても、これは一向に構わない。

ただし、その安心の中でも、ふとした時にある装置の一カ所が非常にうまく作動することが

ある。映画には必ずそういう瞬間が紛れ込んでいるはずです。逆に言うと、それがないようなものは駄作。

蓮見重彦 見るレッスン 映画史特別講義 p5-6
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第一章 現代ハリウッドの希望

映画を見ている時に大事なことは、物語をたどることではなく、そのつど被写体がどのようなキャメラに収まっているかを確かめることなのです。しかし、上映時間90分の作品の語り方はほぼできあがっていますが、上映時間150分を超える作品の撮り方は、ハリウッドにおいてさえ、まだ定着しておりません。

蓮見重彦 見るレッスン 映画史特別講義 p37

第二章 日本映画 第三の黄金期

映画とは時間との闘いです。時間をどのように自分のほうへ引き寄せ、同時に、引き寄せた時間がことによったら自分から離れていくかもしれないという危惧もあるところに、映画の困難があり、同時に映画の魅力の一つだとも思っています。引き寄せよう引き寄せようとして、結局時間は自分のものにならない。しかし、そこであきらめるのではなく、どうショットに収めようかと格闘する。

蓮見重彦 見るレッスン 映画史特別講義 p58

第三章 映画の誕生

おそらく小津ほど自己の念を貫いた監督は世界でも稀ですが、これは松竹という製作会社がいわゆるディレクター・システムをとっていたから可能だったのです。だが、結局のところ、世界のほとんどの監督たちは、苦労しながらプロデューサー・システムの中で撮っていた。だから、小津を見ることがやはりきわめて重要になってくるのです。

蓮見重彦 見るレッスン 映画史特別講義 p68

映画に関わるなら、あるいは映画批評家たろうとするなら、存在しないプリントを探せ、ということです。わたくしは少なくとも60歳ぐらいまでは世界を探しまわっていました。

(中略)

少なくとも批評家たるものは、見ることのできない映画に嫉妬し、これを探し当てるという気を持たなければいけないと思うのですが、そういう人はごくわずかしかいない。

蓮見重彦 見るレッスン 映画史特別講義 p78

映画において重要なのは、いまその作品が見られている「現在」という瞬間なのです。映画監督たちは、その題材をどの程度自分のものにして、画面を現在の体験へと引き継いでいるかということが重要であるような気がします。

蓮見重彦 見るレッスン 映画史特別講義 p90

映画は、それが撮られた時代を超えて、いつでも「現在」としてあり、わたくしたちの感性に働きかけてくる。それを全身で受けとめていただきたいと思うのです。

蓮見重彦 見るレッスン 映画史特別講義 p91

第五章 ヌーベル・バーグとは何だったのか?

ヌーベル・バークという言葉は、当時の作家たちがそう自称したものではなく、フランソワーズ・ジルーという、もともとは週刊誌『ELLE』で編集長を務めていた女性が作ったものです。その後日本にも渡ってきて、松竹ヌーベル・バーグといった運動を形作りました。

蓮見重彦 見るレッスン 映画史特別講義 p127

日本で唯一、ヌーベル・バーグの作品と呼べるものは中島貞夫監督の『893愚連隊』(1966)です。まさにあれはヌーベル・バーグの何かを体現していて素晴らしい作品でした。弱冠30歳ぐらいの作品で、思いのままに撮っている。京都の町が本当に魅力的に映っています。駅前のタクシーに乗るところなど、あの画面はまさにヌーベル・バーグです。

それから、渡瀬恒彦が出ている『狂った野獣』(1976)もいいのですが、ヌーベル・バーグとは異なります。また、芸術的な映画を製作・配給したATG作品の『鉄砲玉の美学』(1973)は残念ながらそれほどでもない。したがって結局、日本で本当にヌーベル・バーグに対応する作品と言えるのは、『893愚連隊』だけでしょう。

蓮見重彦 見るレッスン 映画史特別講義 p137

第六章 映画の裏方たち

新しい映画作家が出現する時、あるいは新しい映画的な運動が起こる時には、必ず優れたキャメラマンとの共同作戦がその背後にあります。例えば松竹ヌーベル・バーグの場合、大島渚さんのチームには川又昂さんがおられました。それから、『ろくでなし」(1960)はじめ吉田喜重監督による作品のほとんどは、成島東一郎さんが撮影しておられました。ごく普通に映画を見ている方々にも、撮影監督のお仕事にはぜひとも注目していただきたいと思います。映画における画面というものは、物語を超えて、ショットそれ自体のすごさというものが備わっているからです。

蓮見重彦 見るレッスン 映画史特別講義 p148

このように60年代から80年代にかけてアメリカが自らキャメラマンを創造できなかったということが、わたくしはハリウッドの無視しえない欠陥だったと思っています。プロデューサー・システムの中で、誰にキャメラを回させるかということに対する、プロデューサーたちの認識があまりにも甘かったと思う。だから結局、ヴィットリオ・ストラーロを連れてくるといったことしかできなかったのです。この間、フランスからもイタリアからも何人もの優れたキャメラマンたちが海を渡り、従来のハリウッド映画になかった画面の透明性のようなものを表現していたことも、やはり見ておかなければなりません。

蓮見重彦 見るレッスン 映画史特別講義 p150

第七章 映画とは何か

ごく当たり前のことから述べますと、映画というのは括弧つきの「近代」を支える複製技術のうえに成立しております。それは、まず視覚的な複製から始まり、次に聴覚的な複製へと移っていきました。ですから、サイレント映画という時期が30年ぐらい続いたわけです。

すなわち、複製技術なるものは、視覚的なものと聴覚的なものが両者全く無関係に進歩してゆきました。エジソンは録音機なども作りましたが、なぜか「音」の部分の同調が遅れたというところが、映画史上に大きな意味を持つことになります。

蓮見重彦 見るレッスン 映画史特別講義 p176

その後、様々な技術的な発展を経て、今や映画ははたして「複製手段」によって成立しているかどうかさえきわめて怪しくなっています。ほとんどの映像作品は、確かに複製技術をもとにしているけれども、もはや複製ではないものを画面上に表現することができるので、そろそろ複製技術としての、つまり括弧つきの「近代」の表象手段としての映画は終わりかけているのかもしれません。

蓮見重彦 見るレッスン 映画史特別講義 p177

アトラクションなどで映像を上映すれば、それはもう見世物ということになりますが、ある一定の時間を拘束して一つの物語を画面に映すという劇場での上映形態は、本来スペクタクルではありません。映画はスペクタクルではないということは、すでにフランスで60年代ぐらいにいわれており、別に新しい考え方ではありません。要するに、映画は、スペクタクルとして見ないからこそ得られる喜びが約束されているということなのです。

蓮見重彦 見るレッスン 映画史特別講義 p182

映画はスペクタクルではないということですから、結局のところ、物語があるかないかが大きな分かれ目になってきます。そして、その物語はいまだに情性体として続いているということです。ここで考えてみると、物語がある娯楽というのは、小説と映画しかありません。

もちろん舞台芸術としての演劇というのもありますが、舞台を見るというのは同じ空間を占有するわけで、それはどこかで見世物になる。ところが、映画というのはそれとは違ったかたちで物語を表現する。ですから、物語のない映画というのは存在せず、やはり人々は物語を求めているのです。

わたくし自身は、映画における物語はさほど重要なものではないと思っております。これについてはすでにいろいろなところで書いたことですが、映画や小説における物語というものは、ギリシャ以来存在していた西欧の芸術学とは違ったところで生まれました。ですから早い話が、カントも、ヘーゲルも、映画などというものが生まれるとは思っていなかったし、小説というものが19世紀にこれほど盛んになるということさえ全く予想していなかったわけです。

芸術学の観点からすれば、小説はどこにも属さない。劇文学でもなく詩文学でも叙事詩でもない散文芸術というものが十九世紀に登場し、それが、小説が行き詰まった行き詰まったと言われながらも惰性体としていまだに書かれており、毎年賞が出る。もちろん素晴らしいものがあるかどうかというのは別の話ですが、それと同じことが映画についても言えると思います。

だから、映画に未来があるかどうかということは実はどうでもよい問題なのです。未来があろうがなかろうが、惰性体としての映画が今後も続いていくことはほぼ間違いないからです。誰も映画を撮らなくなる時代はまず来ないと思っています。

蓮見重彦 見るレッスン 映画史特別講義 p183

物語は不可欠ですが、物語だけを表現してみせるのであれば、それは本当に見世物になってしまいます。ですから、それ以外のところに映画の面白さというものがあることも間違いない事実です。

その面白さの一つは、「細部が見せる一種の色気」というべきものだと思います。色気といってしまうとふとセクシャルなものを感じさせますが、そうではなく、存在しているものの影が、描かれているもの以上の何かを見ているものに語りかけるということが重要なのです。

蓮見重彦 見るレッスン 映画史特別講義 p184

今やアメリカ映画はほとんどディズニーに占拠されてしまったようなかたちになってしまいました。

あらゆるものにディズニーが入り込んでいて、こんな嫌な時代はありません。ピクサーさえもディズニーに行ってしまいました。そうすると、ある単調さが支配し始めます。どんな風に撮ったって、『スター・ウォーズ』が面白くなることはないはずなのですから。

なぜわたくしがディズニーが嫌いかというと、圧倒的に画面の色気がないからです。ピクサーの初期の成功作である『トイ・ストーリー』(1995)などは非常に面白かったのですが、そういうちょっと変わったことをしようとする新しい人も出てこなくなった。テレビでディズニーがやっているDlifeなんて、ほとんどの人を取り込んでしまっているわけです。リドリー・スコットやジェリー・ブラッカイマーのプロダクションのものもDlifeで見られる。あれは独占禁止法反ではないかと思うほど

蓮見重彦 見るレッスン 映画史特別講義 p193

巷でよく聞かれる言葉に、フィクションの中にはリアルが、リアル、例えば実話やドキエメンタリーなどの中にはフィクションが必要だというものがあります。とはいえ、キャメラを向けて撮れば、すべてがフィクションになってしまうということに気づかねばなりません。それは視覚的な限定というものがあるからです。われわれが見ている世界とは別に、キャメラという視覚的な限定があったなら、必ずフィクションになります。だから、リュミエールの時代から作られてきたのはすべてフィクションなのです。

蓮見重彦 見るレッスン 映画史特別講義 p200
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