【式内社】大宮温泉神社の参拝録(栃木県大田原市)【論社】那須与一ゆかりの神社

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式内社の論社

式内社の温泉神社の論社とする説もあるようですが、社伝などを見る限り、違うような気がします。

他に論社となっているのは那須温泉神社です。那須高原をかなり上ったところに鎮座していますので、こちらが奥宮で、山のふもとにも温泉神社があったと考えられなくはないですが、本社ではないように思いました。

もし、ふもとに式内社の温泉神社があったのだとすると、別の温泉神社か、神社の名が変わってしまっているのかもしれません。

さて、本社は栃木県大田原市の那珂川沿いではなく、支流の松葉川沿いにあります。

東向きの山の斜面に建立されており、日があたるのは午前中までだと思います。参拝した時は昼を過ぎていましたので、薄暗い感じになっています。

神社へは車で行くのをおススメします。県道の27号線を走っていると、下の写真の看板が見えてきます。

道路から神社を見て左手に神社へ上る道があり、駐車場があります。

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那須与一ゆかりの神社

平安時代末期の治承・寿永の乱(=源平合戦)から帰ってきた那須余一が那須の温泉神社を分霊し、高館城内に建立したとされます。この通りだとすると、式内社というのはかなり疑問です。

その後、大関土佐守高増の代に現在地に移ります。

祭神は大己貴命、少彦名命です。古くからある温泉の多くは、大己貴命(=大国主)と少彦名神が発見したと伝えられるため、温泉神社の祭神にはこの二神が充てられていることが多いと言われています。

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境内案内

一の鳥居

道路から一の鳥居を撮りました。この左方面に駐車場へ続くのぼり道があります。

二の鳥居

二の鳥居付近からの風景です。のどかな風景が広がっています。

三の鳥居

駐車場付近から三の鳥居を撮りました。

社務所と周辺

大宮温泉神社社伝

本社の主祭神は大己貴命である。那須の湯泉大明紳、三輪の神とも呼ばれた。

今を遡ること八二八年前の元暦二年(一一八五)二月、那須与一が源平屋嶋の合戦で、平家が船上に掲げた神扇を一矢をもってく射落し、天下に武名を轟かせた。

与一の祖真信も、大治二年(一一二七)十二月、帝の命をうけて八溝山の怪鬼岩岳丸を退治したが、何れも那須湯本鎮座の温泉神社の大神、大己貴命の助けにによる武功であった。

与一がその神恩に感謝して、那須の総領に任じられた文治二年(一一八六)、大三輪山高尾の森の居城高館城にこれを勧請した。領内の村々にもこの社を祀り、一〇六社に及んだと伝えられる。

那須氏の後を継いでこの地を治めた大関氏もこれを信奉し、寛文八年(一六八八)八月、黒羽藩主大関信濃守増栄が現在地に遷座した。この地を後郷高尾の森檀山と云う。

増栄は、この社を那須郡惣社と定め、大宮の尊号を付して壮麗な社殿を造営し、代々氏の守護神として尊崇した。

明治十二年(一八七九)五月、火災により社伝・宝物・古文書等悉く焼失したが、翌十三年(一八八〇)十二月に氏子の浄財をもって再輿し、今日まで旧両郷村の郷社として、氏子、崇敬者の心の拠となっている。

本社は那須氏大関氏の時代を経て、実に八二七年余の歴史を刻み、<両郷八景>のうち「壇山の夜雨」として永く語り継がれている。画人小泉斐は第四十九代宮司である。

本年神宮の第六十二回式年遷宮に当たり、その十記念事業としてこの碑を建立する。

平成二十五年(二〇一三)十月吉日 宮司

大宮温泉神社 社伝

四の鳥居

御神木

拝殿と石灯籠

石灯籠は黒羽藩5代藩主の大関増栄(ますなが)(1639年~1688年)が寛文9(1669)年に奉納したものです。

藩主の大関氏は、金丸八幡宮(=那須神社)とともに、この神社を崇敬していました。

那須神社の石灯籠とともに、江戸時代前期における大関氏の信仰のあり方を伝えるものです。

拝殿と本殿

本殿を右側から撮りました

左側から拝殿と本殿の全体を撮りました。

天満宮

境内社の天満宮です。

神楽殿

住所と地図

栃木県大田原市中野内大宮1942

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