大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の感想(主人公:北条義時)

この記事は約24分で読めます。
  1. 舞台は鎌倉時代、主人公は北条義時
  2. 北条義時と後鳥羽上皇と承久の乱
  3. 北条義時の生涯概略
  4. 鎌倉殿の13人とは(十三人の合議制)
  5. 第1回~第 回:源頼朝の側近時代(1175年~1199年)
    1. 源頼朝が北条家に身を寄せて挙兵するまで(1回~5回)
      1. ヒロインは八重か?北条義時の妻となるのか?北条泰時の母となるのか?
        1. 第13回の「紀行」
        2. 北条泰時誕生(第15回)
      2. コメディアン源頼朝とコメディエンヌ北条政子
      3. 北条時政と牧の方(=りく)(第1回)
      4. 中世という時代の冷酷さ(第1回)
      5. 人たらしの源頼朝(第2回)
      6. 以仁王と源頼政の挙兵(第3回)
      7. 源頼朝のステキな金縛り(第3回)
      8. 人たらし再びと所領安堵(第4回)
      9. げに恐ろしきは北条政子(第4回)
      10. 石橋山の戦い(第5回)
      11. 独立気風の強い坂東武者(第5回)
    2. 源頼朝の勢力回復から、平家滅亡まで(6回〜)
      1. 安房への逃亡ルートは?(第6回)
      2. 中世の25里の距離感(第6回)
      3. 上総介広常と千葉常胤(第7回)
      4. 上総介広常と千葉常胤と殺生石と玉藻前伝説
      5. 鎌倉での源頼朝の拠点(第8回)
      6. 富士川の戦いの後に追撃しなかった源頼朝(第9回)
      7. 金砂城の戦い(第10回)
      8. マウンティング合戦(第10回)
      9. 御簾での修行(第10回)
      10. 江間を有する(第11回)
      11. トリックスター善児
      12. 江間小四郎義時(第12回)
      13. 亀の前事件(第12回)
      14. 大姫と義高(第14回、第18回)
      15. 後鳥羽天皇即位(第14回)
      16. 逆落とし(第16回)
      17. 河内源氏内の内ゲバ(第17回)
      18. 守護・地頭の設置(第19回)
      19. 帰ってきた義経(第20回)
      20. 北条一家と運慶と水難と(第21回)
      21. 姫の前登場(第22回)
      22. 巻き狩りと曽我兄弟の仇討ち(第23回)
      23. 大姫と源範頼(第24回)
  6. 第 回〜第 回:権力闘争時代(1199年~1204年)
  7. 第 回〜第 回:北条義時の時代(1204年~1219年)
  8. 第 回〜第 回:承久の乱とその後(1219年〜1224年)
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舞台は鎌倉時代、主人公は北条義時

大河ドラマは、見続ける自信がないのですが、久しぶりに初回を生で見ました。

舞台となるのは鎌倉時代、主人公は北条家の2代目北条義時です。

北条義時の父・北条時政は謀略にまみれた人物のイメージがありますが、その北条時政を上回ったのが北条義時でした。

原作は無く、三谷幸喜氏によるオリジナル脚本です。

ダークなイメージが付きまとう北条義時を、脚本家の三谷幸喜氏がどういう人物として描くのかが楽しみです。

ドラマの舞台となる時代については下記にまとめています。

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北条義時と後鳥羽上皇と承久の乱

北条義時の約60年の生涯の中で最も重要な出来事が晩年に起きた「承久の乱」です。

承久の乱については下記2冊が読みやすいです。視点が異なるので、読み比べるのが良いと思います。

鎌倉幕府の成立よりも、承久の乱の方が、日本史に与えた影響は大きかったと思われます。

大学入学試験で論述問題を課す大学の過去問を見ても、承久の乱の方が重視されています。

承久の乱の与えた影響については隔年でどこかの大学で問われているイメージですが、鎌倉幕府の成立についてはほぼ問われていません。

承久の乱は、乱そのものよりも、戦後処理が後世に与えた影響が極めて大きかった乱でした。

「鎌倉殿の13人」の主人公・北条義時の人生のクライマックスは承久の乱ですが、乱が起きた1221年から3年後の1224年に急死します。

この急死に様々な憶測が飛び交ったようです…。

さて、 大学入学試験で北条義時が直接的に問われたのが、2019年の京大の問題でした。問われた内容は、執権政治の確立過程における北条時政と北条義時が果たした役割についてでした。

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北条義時の生涯概略

北条義時の生涯を、ドラマの時系列でいくつかの段階に分けると次のようになります。

  1. 1175年~1199年。源頼朝が北条家に逃げ込んでから亡くなるまでの期間です。この頃はあまり目立つことがなく、父・北条時政が北条家を握っています。歴史の表舞台に出てこない時期です。
  2. 1199年~1204年。源頼朝が亡くなり、2代目将軍・源頼家の時代です。このわずかな期間で、北条義時が歴史の表舞台に登場します。最も謀略に満ちた時期であり、激しい権力闘争の時期になります。「ゴッドファーザー」の権力闘争が頭をよぎります。(音楽はゴッドファーザーよりも「アンタッチャブル」のイメージです。ゴッドファーザーのような哀愁を感じない緊迫した権力闘争ですので。)
  3. 1204年~1219年。3代目将軍・源実朝が暗殺されるまでの期間ですが、この期間に北条義時は鎌倉における北条家の地位を固めます。北条家から父・北条時政を追い出し、将軍は源氏将軍から摂家将軍へすげ替えました。ここから20年ほどが北条義時の時代です。
  4. 1219年~1221年。後鳥羽上皇との対立から承久の乱に至るまでの期間です。源実朝の暗殺をきっかけに、朝廷との関係が悪化し、承久の乱へ突き進んでいくことになります。乱の戦後処理の結果、朝廷は武力や所領を失い、鎌倉幕府は西国にも実質的な支配権を伸ばしました。

鎌倉殿の13人とは(十三人の合議制)

源頼朝の後を継いで鎌倉殿となる源頼家の時に始まるのが十三人の合議制です。

源頼家が頼朝同様の強大な権力を持つことを御家人は歓迎しなかったと考えられています。そのため、有力御家人は将軍のもつ多くの権限を制限し、源頼家から訴訟(裁判)の裁決権を取り上げて合議制を始めます。

十三人の合議制への移行は、源頼朝の死からわずか3か月で北条時政、大江広元、三善康信らによって始まります。十三人の合議制はのちの評定衆や引付衆に連なります。

十三人の合議制のメンバーは次の通りです。

  1. 文官4人
    • 大江広元
    • 三善康信
    • 中原親能
    • 二階堂行政
  2. 武将9人
    • 北条時政
    • 北条義時
    • 三浦義澄
    • 八田知家
    • 和田義盛
    • 比企能員
    • 安達盛長
    • 足立遠元
    • 梶原景時
NHK大河ドラマの一覧表
NHK大河ドラマと21世紀スペシャル大河ドラマ(2009年~2011年)の一覧表です。なお、一部水曜時代劇(大河現代3部作(山河燃ゆ、春の波涛、いのち)の放映時に、 従来の時代劇路線ファンに応えたもの。)が入っています。

第1回~第 回:源頼朝の側近時代(1175年~1199年)

今回の大河ドラマの舞台は平安時代末期から鎌倉時代前期になります。

ドラマは1175年から始まります。ちょうど源頼朝が北条家に身を寄せるところです。北条家にしてみれば、全ての始まりの年になります。(1175年は大きな出来事は起きておりません。)

脚本が三谷幸喜氏ということでコミカルな演出とシリアスな場面のギャップが予想通りでした。脚本が三谷幸喜氏でなければ初回を見ていなかったと思います。

奇しくもほぼ同じ時期に、同時代を扱ったアニメ「平家物語」が放映されました。

ここから下はドラマのネタバレがあります

源頼朝が北条家に身を寄せて挙兵するまで(1回~5回)

ヒロインは八重か?北条義時の妻となるのか?北条泰時の母となるのか?

北条義時の妻になるのでしょうか?

時代考証を担当している坂井孝一先生が、八重=阿波局説を提唱しているので要注目です。

阿波局は北条義時の子である3代目執権・北条泰時を産みますが、出自が謎とされています。

そもそも、そうでなければ、新垣結衣さんを配役した意味がないので、ヒロイン確定ではないかと思います。

とはいえ、源頼朝や北条氏と敵対した(頼朝に至っては殺されそうになります)平家家人・伊東祐親の娘を迎え入れることを、源頼朝や北条時政が許したとする設定はあり得るのか、という疑問はありますが…

後に義時の正妻となる姫の前(ドラマでは比奈)は比企氏の娘ですが、北条氏と敵対することで離縁しますので…

この点は脇に置いておき、北条義時の妻になるのでしょう。

そうだとすると感慨深いです。

北条泰時は北条政子のバックアップを受けて執権に就くわけですが、政子が八重の産んだ泰時を推すのですから。

政子と泰時の関係は政子が亡くなるまで良好だったようです。

得宗家最高の執権である泰時が、政子が亡くなってしまったら出家したいと漏らすほど、政子を頼りにしていました。

第13回の「紀行」

伊東市の最誓寺が義時の妻となった八重により、千鶴丸の供養のために建立されたと紹介されましたが、最誓寺に伝わるのは、江間小四郎と伊東祐親の娘により建立されたというもののようで、この江間小四郎が義時と同一人物かは不明です。

北条泰時誕生(第15回)

寿永2(1183)年に生まれた北条泰時ですが、母の出自は不明です。一般的は身分が低いため記録されなかったと考えられています。

さて、建久3(1192)年に北条義時は姫の前を正妻に迎えますが、その1年ほど前から恋文を送っていたとされますので、相当な想いがあったようです。

泰時が生まれてから約8年後、八重との関係に変化が生じるのか、八重の身に何かが起きるのか…。

泰時の母は歴史の表舞台に登場していませんので、どの様に退場したかも分かっていません。

コメディアン源頼朝とコメディエンヌ北条政子

特に源頼朝と北条政子の出会いの場面は、コントとしか言いようがありませんでした。源頼朝役の大泉洋さんも困惑していたようです。

頼朝と政子っていう歴史上のこの2人の出会いのシーンを『面白くする必要があるんでしょうか?』って、あらためて三谷さんに問いたいですけどね。今日の最後のシーンを撮っている間に、小栗君がやってきて『何やってるんですか?』って怒ってましたからね。『いや、これはあの…』みたいな。なんで我々が主演に怒られないといけないんだっていう。私たちは台本の通り、やっているわけだから。本当にね、三谷さんにはこれ以上、頼朝を面白くするのはやめてほしいと思いますね。

https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2022/01/10/kiji/20220110s00041000119000c.html

北条政子の本当の名は分かっていませんが、一般的には北条政子として知られておりますので、ドラマでも北条政子で登場します。

北条義時の兄姉妹は政子に限らず癖の強い人物として描かれ、これからどうなっていくのか楽しみです。

北条義時の兄姉妹の癖の強さもさりながら、源頼朝の癖の強さも相当なものでした。これは俳優・大泉洋さんの思い切りの良さが良い方向に出ました。

源頼朝が女装して逃げる場面、一瞬映る大泉洋さんは薄化粧が施され、紅までさしていました。…薄化粧や紅はいらないでしょう…。緊迫する場面です。薄化粧する時間があれば、さっさと逃げればよいのに、何をしているのだか…。

北条時政と牧の方(=りく)(第1回)

1回目から牧の方(=りく)を登場させたのは、後に起きる畠山重忠の乱と牧氏事件を丁寧に描くつもりなのでしょうか。

りくの配役が宮沢りえさんなので、それなりの登場回数はありそうです。「鎌倉殿の13人」の前半or中盤のクライマックスになるのでしょうか。

2回目でりくが時政に告げるセリフは牧氏事件の伏線になるのでしょう。時政のところに嫁いできたので、他の者に嫌われても気にしないというのですが…。

中世という時代の冷酷さ(第1回)

1回目から戦慄する場面があります。三谷幸喜氏の脚本の振り幅の大きさに驚いたシーンです。

戦慄シーンは、源頼朝と伊東祐親の娘・八重との子・千鶴丸が暗殺される場面です。

セリフの中だけで消化しても良かったところを、河原で千鶴丸が来ていた衣類を持って佇む伊東祐親の下人・善児を、北条義時が目撃します。暗殺を視覚的にイメージさせる場面です。

残酷なのは、この場面があったからだけではありません。北条義時は、それを横目に見ても驚きもせず、善児を問い詰めもせず、北条家の館に戻って冷静に報告します。感情の起伏が現れないことにこそ、この場面の本当の怖さがあります。

コメディタッチな中に、いきなり冷酷なシーンの挿入は、これから権謀術数の世界を描いていくことを暗示しているように思えました。

人たらしの源頼朝(第2回)

2回目で、身内のいない源頼朝が悲願を達成するためには後ろ盾が必要なのだと義時に話します。そのために、伊東の八重に近づき、伊東家がダメとなると、北条政子に近づいたというのです。

半ば呆れて話を聞いていた義時でしたが、源頼朝から、そなただけに言う、兄にも言ってはいけない、いずれ挙兵する、そなただけが頼りだ、と言われて、ははっ!と、人たらしの頼朝に完落ちしてしまう場面には苦笑いをしてしまいました。秘密を共有した者同士の一体感が生まれた場面でもありました。

源頼朝は、人たらしでもあったようです。坂東武者を一人一人呼んでは、そなただけが頼みだ、と殺し文句をささやいたようです。そう言われた方は、他にも言っているのをわかりつつも、悪い気はしなかったでしょう。

以仁王と源頼政の挙兵(第3回)

第3回でいわゆる源平の合戦(治承・寿永の乱)の引き金となる治承三年政変が軽く語られます。

平清盛が後白河院派の貴族39人を解官し、後白河院を幽閉して実権を握ったクーデターです。

この後に安徳天皇即位すると、後白河法皇の皇子・以仁王が平家打倒の令旨を出します。

以仁王の蜂起自体は皇位継承に絡む私戦的な意味合いが強かったとされますが、これをきっかけに全国に反平氏・嫌平氏の感情が広まります。

皇位継承に絡むというのは、安徳天皇が即位することにより、皇統が高倉天皇の子孫に定まり、以仁王の即位が無くなることが確定するからです。以仁王には力で皇統を変えるしか選択肢がありませんでした。

実際、以後の皇統は高倉天皇の子孫が継いでいきます。

院政については下記にまとめています。

以仁王とともに挙兵した源頼政は源三位(げんざんみ)の通称があります。鵺(ぬえ)退治でも知られる武将です。墓所は京都府宇治市の平等院内にあります。

(源頼政を祀っている神社として安井金比羅宮があります。)

清和源氏の中でも摂津源氏の流れで、源満仲から数えて5代、源満仲の長子である源頼光から4代の子孫です。

源頼光は酒呑童子討伐や土蜘蛛退治で知られる伝説の武人です。武門源氏の本流中の本流の家系です。

一方で、源頼朝は清和源氏の中でも河内源氏の流れで、源満仲から数えて7代、源満仲の三男である源頼信から6代の子孫です。

一般的には、河内源氏が武門源氏の本流とされます。

それは、源頼信が平忠常の乱を、次いで源頼義・源義家が前九年の役、義家が後三年の役を平定し、東国武士を結集して「武家の棟梁」と称される地位を確立したからとされます。

しかし、これは勝者による後世の後付けではないかと思います。

海音寺潮五郎氏も「武将列伝 源平篇」で、源頼朝が源氏の嫡男だとするむきがありますが、結果的にそうなっただけの話であり、源平盛衰記の諸本や吾妻鏡などは、頼朝が天下を取った後につくられたので、都合の良いように書かれている節があることを見逃してはいけないと述べています。

ドラマで源頼政の挙兵失敗を知った頼朝は、政子から挙兵しなくて良かったですねと言われ、政子を叱りつけます。

そして、仏像に手を合わせて頼政の弔うために念仏を唱えますが、口許が笑っていました…。

源頼朝のステキな金縛り(第3回)

さて、第3回で話題になったのは、源頼朝の夢枕に後白河法皇が立つ場面でした。第4回でも引き続きの場面がありました。第5回でも登場します。さすがにやり過ぎでしょう…

本作で脚本を担当している三谷幸喜氏の監督作品「ステキな金縛り」さながらの演出に沸き立ちました。法皇役の西田敏行さんが落ち武者姿であれば、まさに更科六兵衛でした。

後白河法皇が源頼朝の枕元に立った後に、三善康信からの文が源頼朝のもとへ届きます。

それによると、平清盛は以仁王の命旨を受け取った源氏すべてに対して、追討の兵を差し向けることに決めたというのです。

これを読んだ源頼朝は動揺します。しかし、この三善康信の知らせは早とちりだったとされます。この時、平家が追討していたのは頼朝でなく、頼政の残党のみでした。

しかしこれによって源頼朝は追い詰められ、後白河法皇の密旨も重なり挙兵を決意します。

密旨は文覚を介して届けられたという話もあるようです。

ドラマでは、以仁王の令旨から始まり、後白河法皇から平家討伐の密旨を受けたこと、三善康信の早とちりから源頼朝が追い詰められたと思いこんだという、複合的な理由を採用しています。

人たらし再びと所領安堵(第4回)

第4回で源頼朝が人たらし本領を発揮します。

土肥実平が土地の安堵を心配していましたが、頼朝は顔をみせた実平の手を取り、次郎よう来てくれた、よう来てくれた。今まで黙っていたがわしが一番頼りにしているのは実はお前なのだ、とぬけぬけと言います。

嘘も誠心誠意つけば誠になるのだ、と言うことなのですが、これで味方を増やしていったのですから、魅力はあったのでしょう。

そして、源頼朝は所領安堵をすることでも、関東の武士を味方にしていきました。これは第5回で頼朝が自ら語りました。

げに恐ろしきは北条政子(第4回)

第4回の政子と北条義時の会話が怖かったです。

「ず~っといるのねえ」「江間の土地ですから」「もし佐殿とあの女がどうにかなるようなことがあったら、私、何をするか分かりませんからね」「そう言われても」「分かりませんからね」

笑いながら去って行く北条政子の姿に夜叉を感じました。

石橋山の戦い(第5回)

第5回は源頼朝が絶体絶命のピンチに陥る石橋山の戦いですが、このあと小田原周辺から、真鶴へ上手く逃げて、今の千葉県逃げ込むわけです。

ここから源頼朝は勢いを増していくのですが、謎なのは何故勢力が回復できたかです。しかも、石橋山の戦いで敗れてから、わずか一月半ほどで鎌倉へ入ります。

家柄の良さだけで力のない源頼朝に何故従おうと思ったのでしょうか?

独立気風の強い坂東武者(第5回)

第5回で北条宗時が北条義時に語るセリフは、坂東武者の気風を上手く伝えてくれました。

「平家につくか、源氏につくかはさほど重要ではない。坂東武者の世をつくる。そのてっぺんに、北条がたつ。そのため、源氏の力がいるんだ。頼朝の力がどうしてもな。」

坂東には有力な武士団として坂東八平氏が、房総、秩父、相模に広がっていました。祖は平良文で、桓武平氏です。兄は伊勢平氏の流れをつくる平国香です。

同じ桓武平氏にも様々な流れがあり、中央で力を得た平清盛の伊勢平氏と坂東平氏とは別モノでした。

事実、源頼朝を支えた有力御家人となったのは坂東平氏でした。坂東平氏にとって、中央の伊勢平氏は、同じ桓武平氏とはいえ遠い存在だったので、それぞれの利害で動いたのでしょう。

源頼朝の勢力回復から、平家滅亡まで(6回〜)

安房への逃亡ルートは?(第6回)

第5回で石橋山の戦いに敗れた源頼朝は、第6回で、どういうルートだか分かりませんが、安房へ逃げます。

現在の小田原と熱海の間に位置する真鶴から出航したようですので、真鶴から安房までのルートが気になります。

石橋山の戦いが8月23日、安房に着いたのが8月29日とその間わずか1週間です。

真鶴から安房までドラマのような小舟を使ったのでしょうか。

だとすると、真鶴から安房までは結構な距離がありますので大変だったのではないかと思います。

先程から安房と書いていますが、安房は現在の千葉県の南のエリアです。

安房のどこに上陸したのかはわかっていないそうです。その為、漠然とした安房という書き方になります。

中世の25里の距離感(第6回)

第6回で散々歩かされる源頼朝ですが、その距離が25里でした。

一般的に習う一里の長さは約4キロですので、25里となると、ざっくり100キロになります。

すごい歩いたなと思いましたが、イヤイヤそれはないだろう、と思い、調べると、中世での一里の長さが異なっている事が分かりました。

一里は5町(≒545 m)から6町(≒655 m)だったようですので、25里はざっくり14〜16キロになります。

単位は時代や地域によって異なることを改めて知りました。いい勉強になります。

上総介広常と千葉常胤(第7回)

第7回で上総介広常と千葉常胤が源頼朝に従うことになりましたが、このおかげで、短期間で鎌倉攻略を成し遂げる事ができます。

では、なぜ上総介広常と千葉常胤は源頼朝に従ったのでしょうか?

ドラマで上総介広常が、何の得があるのか、と聞きますが、その通りで、何の得があって味方したのかが分かりません。

後年、北畠顕家が関東で兵を集めようとした際に、報酬を求められたことを嘆きましたが、中世の武士は損得で動くのが当たり前の時代でしたので、学会では源頼朝に味方する理由を誰も明確に示す事ができていないようです。

ドラマで上総介広常が、源頼朝が襲われることを知りつつ、神に守られているなら難から逃れられるはず、と試して、源頼朝に神意を感じたというのが、本当なのかもしれません。

さて、上総介広常はどこを拠点としていたのか、よくは分かっていないようです。上総国の一宮である玉前神社(たまさきじんじゃ)の近くにあったとも言われます。玉前神社は外房にあります。

もし、その通りならば、内房を北上したとみられる源頼朝に合流するのに時間がかかったでしょう。

房総に山は無いものの、小高い丘陵が真ん中を通っているため、移動が意外と大変だからです。武蔵国のように台地の土地は移動が楽です。

上総介広常と千葉常胤と殺生石と玉藻前伝説

さて、上総介広常と千葉常胤は殺生石九尾の狐で知られる玉藻前伝説にも関わっている様です。

奇しくも「鎌倉殿の13人」が放映されている2022年に殺生石は真っ二つに割れました。

割れたのは3月5日です。ドラマは序盤で、上総介広常も千葉常胤も登場している時期でした。

鎌倉での源頼朝の拠点(第8回)

第8回で鎌倉に入る源頼朝ですが、大蔵に屋敷を構えます。

現在の清泉小学校のあるあたりです。鶴岡八幡宮東側にあたり、頼朝の墓の南側です。

当初、父・源義朝が屋敷を構えていた亀ヶ谷に屋敷を構えるという話もあったようですが、狭い事と義朝を弔う堂宇があったことなどから、変更となったようです。

現在は鎌倉五山寿福寺が建てられています。総門を入ってから中門までの参道は、鎌倉で最も美しい石畳といわれているそうです。

富士川の戦いの後に追撃しなかった源頼朝(第9回)

第9回で平家の追討軍を富士川の戦いで破った源氏ですが、源頼朝は平家を追撃しませんでした。

ドラマでは兵糧が足りないからとか、領土を離れている間に敵に侵入される気配があるからなど、坂東武者の消極的な様子が描かれています。

一方で、京に軍を向かわせようとした源頼朝の前に、千葉常胤、上総広常、三浦義澄らが立ちはだかり、追撃を止めたとされます。

関東には源氏の佐竹氏を含めて頼朝に従わない者がいるので、それをまずは平らげるべきだと主張したのでした。

こうした状況について、本郷和人氏は「承久の乱 日本史のターニングポイント」で、関東の在地領主が源頼朝に求めたのは、東国での新しい秩序であり、在地領主の権利の保障を最優先に求めたと説明しています。

金砂城の戦い(第10回)

第10回で金砂城の戦いが描かれました。源頼朝が関東を固めるために、同じ源氏でありながら平家についた常陸の佐竹氏を討った戦いです。

金砂城は今の西金砂山にあり、山頂は西側が100mも切れ落ちた断崖絶壁となっています。ドラマでは源義経が山頂から背後をつく作戦を提案します。後の一ノ谷の合戦の鵯越(ひよどりごえ)の逆落としと同じ作戦です。

金砂城の戦いの最中に和田義盛がヒヨドリを捕まえるというのんびりとした光景が描かれましたが、後になってヒヨドリではなくツグミであることが分かります。

ここで疑問なのは、敢えてツグミにしたのは、何かの伏線になるのでしょうか?

マウンティング合戦(第10回)

第10回の亀(亀の前)の八重へのマウンティングは恐ろしかったです。

この後、亀の身に降りかかる災難を知っているだけに、見ていられませんでした。

第4回以来、久しぶりに恐ろしい北条政子が見られるかもしれません。

御簾での修行(第10回)

第10回で政子が妹・実衣とともに御簾での所作を修行する場面がありました。

りくとその兄で公家の牧宗親により指導されていましたが、後に様々な場面で修行の成果が見られると思います。

後年、承久の乱の際に坂東武者を奮い立たせたとされる政子が演説では、皆の前で演説したかのように思われますが、実際は御簾の内側から人を介して話したようです。

この御簾での所作の修行の成果が最大限発揮される場面となります。

江間を有する(第11回)

江間と伊東を有することになった義時ですが、北条家の分家・江間氏の初代になり、北条時政が北条家の後継として義時を考えていなかったのではないかと考えられています。

北条時政も北条家の本家ではなかったのではないかという考えもあるようです。

北条義時を継ぐ北条泰時も長男ではありましたが、嫡男ではありませんでした。

ドラマでどの様に描かれるか楽しみですが、北条氏の三代は実力で北条家のトップになったのでした。

トリックスター善児

義時の兄・宗時を暗殺するなど、ドラマ初期から登場している暗殺者の善児は早い時期で姿を消すのだろうと思っていました。

ですが第11回で伊東父子を暗殺したところから、このドラマのトリックスターとして最後の方まで登場するのではないかと思うようになりました。

北条家の勢力拡大に欠かせない謀略はドラマの第11回ではまだ始まっていませんが、権力闘争が始まった瞬間から善児の活躍の場が登場します。

北条家の定石は敵を屠り、手を下した者の口を封じるです。口封じは誰かが行う必要があります。きっと善児は北条家の下人になるのでしょう。

江間小四郎義時(第12回)

江間を領することになって、義時は江間小四郎と名乗るようになります。

実衣が、北条の後継はどうするのかと尋ねると、ダンマリする時政らです。

のちの波乱の伏線となります。

亀の前事件(第12回)

亀の前事件ではどのような阿鼻叫喚が繰り広げられるのかと空恐ろしかったのですが、脚本の妙に感心しつつ笑いのある場面にホッとしました。

史実は史実として残しつつも、いい意味で期待を裏切ってくれました。

事件のあらましは次のとおりです。

  • 浮気を知った政子が牧宗親に亀の前の館を壊すよう頼む
  • それを知った頼朝は牧宗親を叱責して髻(もとどり)を切る
  • これに怒った北条時政が伊豆へ引き上げる
  • 残った義時が頼朝から褒められる

ドラマでは、源頼朝の異母弟・阿野全成が亀の存在を実衣に漏らし、黙っていられない実衣が源範頼に話し、それが北条時政とりくに伝わります。

りくはわざと亀の存在を北条政子に漏らし、後妻打ち(うわなりうち)での仕返しを提案、りくの兄・牧宗親が後妻打ちを行うことになりました。

北条義時は事情を隠して亀の屋敷の警護を源義経に頼みますが、そこに牧宗親がやってきて義経が事情を知ると、義経は慕っている政子のために亀の屋敷を徹底的に打ち壊します。

これに怒った源頼朝は牧宗親と源義経を呼びつけて、義経には謹慎、牧宗親は髻(もとどり)を切るという屈辱を与えます。

(この時代、髻(もとどり)は隠すのが当たり前で、人に見られることすら嫌っていたようです。ましてや、切られるというのは、ものすごい屈辱にあうということを意味します。)

この仕打ちにりくが北条時政を伴って源頼朝に詰め寄ります。そこに政子もやってきて、りくと政子が源頼朝を責めてたてると、源頼朝が逆ギレします。その様子を見ていた北条時政が源頼朝にブチギレてしまいます。

要所要所は史実に基づいているのですが、コメディさながらの展開に仕立て上げたのは、さすが三谷幸喜氏です。

大姫と義高(第14回、第18回)

木曾義仲の嫡男・義高が人質として鎌倉にやってきますが、頼朝と政子の長女・大姫の婿として遇されました。

政略結婚ですが、大姫は義高を慕っていたようです。

それ故に源頼朝と源義仲の関係が破綻したあとに訪れる不幸は大姫を終生苦しめました。

後鳥羽天皇即位(第14回)

平家と共に安徳天皇が西国に向かい、天皇が不在となってしまったため、天皇家の家長である治天の君・後白河院が別の天皇をたてます。後鳥羽天皇です。のちに承久の乱で北条義時と対立します。

三種の神器は安徳天皇と共にあったため、神器なき即位でした。また、2年間ほど二人の天皇の即位期間が重複しました。

神器が無かったことは後鳥羽天皇にとってコンプレックだったと考えられており、その事が承久の乱の遠因にもなっていると考えられています。

逆落とし(第16回)

第10回の金砂城の戦いで伏線が張られた「逆落とし」ですが、第16回で伏線が回収されました。

一ノ谷の戦いで有名なのが鵯越(ひよどりごえ)の逆落としですが、逆落としが行われた場所には論争があるようです。

鵯越の他に、鉄拐山説がありますが、ドラマでは鉢伏山説を取っています。いずれも、鵯越が一ノ谷から遠すぎるので、違うのではないかというのが説の根拠になっているようです。

この場面で、畠山重忠の「馬を背負ってでも下りてみせます」 「末代までの語り草になりそうです」というセリフは良かったです。事実、有名な逸話として語り草になりました。

河内源氏内の内ゲバ(第17回)

打倒平家を掲げながら、河内源氏内での内ゲバが行われ、源義仲の子・義高、武田信義の子・一条忠頼が殺されました。

治承・寿永の乱は源氏対平家による戦いのほか、河内源氏内の主導権争いが同時並行的に行われた内乱でした。

源義高の殺害に、許嫁だった源頼朝の長女・大姫はショックを受け、その影響は亡くなるまで続いたようです。

守護・地頭の設置(第19回)

第19回では極めて重要なシーンが描かれました。

北条時政が上洛し、諸国荘公の兵糧米徴集と田地知行が認めさせたシーンです。

これは源行家と源義経の追討のための軍事体制を展開する用意で、臨時の措置と思われますが、後世に、このことが幕府の守護・地頭設置を朝廷が勅許したと解釈されます。

そのため、中世史研究者の間では1185年が鎌倉幕府成立時期として有力とされます。

帰ってきた義経(第20回)

第20回のタイトルは二重の意味がありました。

一つは平泉に戻ってきたという、藤原秀衡目線の意味です。

もう一つは首だけが鎌倉に戻ってきたという、源頼朝目線の意味です。

北条一家と運慶と水難と(第21回)

北条一家が揃った場面で義時の弟・時連(のちの時房)が大姫の命を受けた格好で登場してきました。

北条時房は初代連署として知られますが、のちに北条泰時(=金剛)は叔父の時房をたてましたので両執権とも言われます。

さて、この回には鎌倉時代を代表する仏師の運慶が登場しました。北条時政の依頼によって願成就院の阿弥陀如来像、不動明王及び二童子像、毘沙門天像を造るのですが、ドラマでは阿弥陀如来像だけが完成しているという設定でした。

このシーンの直前に八重の身に事故がおきるのですが、運慶の阿弥陀如来像が誰かに似てしまった、というセリフにはドキッとしました。

あとになって運慶の母に似ているということが分かるのですが、小四郎にはどのように見えたのでしょうか…。

姫の前登場(第22回)

源頼朝が「大将軍」のうち「征夷大将軍」となった年、北条義時は姫の前を正妻に迎えますが、伝わるところでは、1〜2年ほど想いを寄せ続けていたされます。

しかし、比奈(=姫の前)との出会いは、伝わる内容とは異なって描かれました。

比奈は計算高い人物の様に思えます。そして何より比企能員の計算高い樣が描かれました。

巻き狩りと曽我兄弟の仇討ち(第23回)

源頼家のお披露目となる富士の裾野での巻き狩りの最中に起きたのが、曽我兄弟の仇討ちでした。

ドラマでは曽我兄弟の仇討ちを新解釈で描きました。

兄弟の父親の仇である工藤祐経の殺害を意図したものではなく、本当の目的は源頼朝の暗殺で、頼朝と間違えて殺したのが工藤祐経だったというのです。

源頼朝の襲撃も意図していたという説はあり、黒幕もいたのではないかという説もありますが、ドラマでは曽我兄弟による単独犯として描かれました。

曽我兄弟は源頼朝から坂東を取り返すために襲撃しましたが、源頼朝と坂東武者との隙間風を窺わせるエピソードになりました。

大姫と源範頼(第24回)

大姫の病死を、弟・源範頼の呪詛によるものだと思い込んだ源頼朝は、梶原景時に源範頼の暗殺を命じました。実際に手を下したのは善児でした。

さて、この両名の亡くなった年ですが、一般的には同年ではないと考えられます。

大姫が亡くなったのは建久8年(1197年)とされます。

一方で、源範頼が建久4年(1193年)に修善寺に流された後については不明な点が多く、ドラマではその点をうまく使いました。

この回において、大姫が冠者殿(木曽義高)のことを聞こうと、和田義盛の妻となった巴御前を訪ねる場面が描かれました。

巴御前は存在が史料上確認できない人物のようですが、これもうまくドラマに組み入れていました。

第 回〜第 回:権力闘争時代(1199年~1204年)

第 回〜第 回:北条義時の時代(1204年~1219年)

第 回〜第 回:承久の乱とその後(1219年〜1224年)

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