ゆうきまさみ「新九郎、奔る!」(第10集)の読書備忘録(要約と紹介と感想と)

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今回の舞台は文明8年(1476年)〜文明9年(1477年)です。関東と京都で、そして駿河で新たな局面が展開された年となりました。

今川家の家督争いは龍王丸側の大幅な譲歩でひとまず落ち着きますが、火種はくすぶったままです。

関東では享徳3年(1455年)から文明14年(1483年)まで続いた「享徳の乱」の新たな局面が展開されます。「長尾景春の乱」です。乱の終盤に来て、混迷の度合いを深める出来事でした。

一方、京では応仁元年(1467年)から文明9年(1477年)まで約11年間にわたって続いた応仁・文明の乱が終結します。

舞台となる時代については「テーマ:室町時代(下剋上の社会)」にまとめています。

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第10集の人物関係

第10集での人物関係を一覧表で整理してみます。ここでは応仁の乱の陣営を念頭に整理しました。

関東の状況は次のようになります。

堀越公方側(幕府側)古河公方側
公方足利政知 足利成氏
山内上杉家上杉顕定(関東管領)
(長尾景春)
長尾忠景
⇒長尾景春
扇谷上杉家上杉定正
太田道灌(資長)

京の様子は次のようになりますが、膠着状況です。細川家と山名家は戦から撤退しています。

東軍西軍
将軍家足利義政(第8代将軍)
足利義尚(第9代将軍)
足利義視(今出川殿、義政の弟)
伊勢氏伊勢貞宗(政所執事)
伊勢盛定(父)
蜷川親元(政所執事代)
伊勢貞藤(貞親の弟)
斯波氏斯波義敏
朝倉孝景
斯波義廉(管領)
畠山氏畠山政長(管領)畠山義就
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第10集で描かれる時代背景

本書の舞台となるのは、1476〜1477年です。新九郎は数え年で21〜22歳です。

関係年表

ーーー第10集はここからーーー

文明8年(1476年)
●将軍:足利義尚 ○管領:斯波義廉(西幕府)
◎古河公方:足利成氏 ◎堀越公方:足利政知 ○関東管領:上杉顕定
【関東】伊勢盛時が駿河に下る。今川家の調停を行い、龍王丸が成人するまで範満を家督代行とすることで決着させる。長尾景春の乱。長尾景春が関東管領家の執事になれなかったため鉢形城にて挙兵。

文明9年(1477年)
●将軍:足利義尚 ○管領:畠山政長、斯波義廉(西幕府)
◎古河公方:足利成氏 ◎堀越公方:足利政知 ○関東管領:上杉顕定
【関東】長尾景春が五十子を陥落させる。
【京都】応仁・文明の乱が終結(大内政弘・畠山義就ら西軍諸将が領国に帰る)

ーーー第10集はここまでーーー

文明10年(1478年)
●将軍:足利義尚 ○管領:畠山政長
◎古河公方:足利成氏 ◎堀越公方:足利政知 ○関東管領:上杉顕定
【関東】上杉顕定は足利成氏と和睦を成立させる。千葉孝胤を境根原合戦で破る。

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物語のあらすじ

帰京

小鹿新五郎範満が駿府の館に入った翌日、伊勢新九郎盛時が館を訪ねて久々に新五郎対面します。その場には福島修理亮らの重臣もいました。

挨拶を済ませた新九郎は大道寺太郎らと共に山越えをして、二ヶ月ぶりに小川の林叟院に戻りました。

翌日、長谷川次郎左衛門正宣居館にいる姉の伊都を訪ねました。

その晩、賊が長谷川居館を襲いました。

見張り役の才四郎が矢で射られ、異変を感じた三郎が皆を起こしに行きます。

賊の狙いは伊都と龍王丸のようです。

何とか賊を撃退した新九郎らでしたが、事態は深刻です。

幸いにも才四郎は助かっていました。矢は新九郎が彫った観音に刺さっていたのです。

新九郎は朝比奈らに賊が伊都と龍王丸を狙っていた事を告げました。

それを聞いた朝比奈らは、小鹿が放った刺客かと色めきたちますが、新九郎が事を構えるわけにはいかないと諭します。

駿府には堀越源五郎義秀が残っているため、堀越を通じて小鹿側を牽制することにしました。

伊都と龍王丸が刺客に襲われたと聞いた小鹿新五郎範満は愕然としました。重臣の福島修理亮は知らぬことと言い切ります。

堀越はこの一件を上杉政憲と太田道灌にも知らせてあると告げました。

新九郎は伊都と龍王丸に上洛してもらうつもりでいました。

足利義尚に御目通りが叶えば大きなアドバンテージになると考えたのです。

11月上旬になりようやく新九郎一行は駿河を後にして上洛します。

文明8(1476)年11月14日。帰京した新九郎らが目にしたのは焼け落ちた室町御所でした。

伊勢貞宗邸に入った新九郎は弟・弥次郎の出迎えを受け、伊都は父・伊勢盛定と久々の対面を果たします。

室町御所が焼け落ちてしまったため、足利義政と足利義尚は小川邸への引っ越しを余儀なくされ、伊勢貞宗はその手配に奔走していました。

この夜、室町御所を焼け出されて小川邸に避難していた後土御門天皇が北小路第に行幸しました。

新九郎は伊勢貞宗に駿河で起きた事のあらましを話しました。

話を聞いた貞宗は新九郎の思うようにはいかないかも知れないと話します。足利義政が今川義忠の件について怒っていたからです。

貞宗は伊都に髪を下ろさせるように命じました。

今川義忠の遺領を龍王丸に継がせたいのであれば、寡婦である事を示して覚悟を見せなければなりません。

そうでなければ味方からも呆れられてしまいます。

12月22日。新九郎は第九代将軍・足利義尚に御目通りしました。久々の対面です。

義尚は新九郎が無役である事を確認すると、自分の申次にならないかと言いました。

即答を避けた新九郎は、父・盛定から足利義政の意向を確かめなければ危ういと言われます。

足利義尚は足利義政に頭を押さえつけられている現実を知ります。

文明九年

12月。伊勢貞宗邸は臨時の将軍御所となっていました。

新九郎は工房にいて鞍の作製をしていました。

工房から出た新九郎は実母の実家・横井家の家人である多米権兵衛元茂と再会します。

後北条氏に仕えた大道寺氏、多目氏、荒木氏、山中氏、荒川氏、在竹氏ら6名の重臣を総称して御由緒六家(ごゆいしょろっけ)と呼びます。

多米権兵衛元成が「多目氏」のようです。

新九郎は足利義尚に呼ばれ、申次の件を固辞しました。それを聞いた義尚はため息をつき、近臣の一人も選べぬ事を嘆きました。

明けて文明9年の正月19日。武蔵国五十子陣に火の手が上がります。

扇谷上杉定正は古河公方・足利成氏の攻撃と思いましたが、長尾景春の攻撃と知り驚きます。

長尾景春の目指すはただ一つ。関東管領・上杉顕定の首です。

長尾景春の勃発です。

20年にわたって足利成氏戦の拠点となっていた五十子陣は、弱点を知り尽くした長尾景春の攻撃により崩壊します。

報せを聞いた太田道灌は景春の戦力分析を行いました。

同じ頃、新九郎は「狐」から長尾景春の挙兵の話を聞いていました。

道灌は駿河に構っていられなくなったことを知った新九郎は小鹿新五郎から譲歩を引き出す機会だと感じます。

新九郎は貞宗に足利義政の様子を伺いましたが、今川義忠の件を許していないようです。

それに加えて、伊都が落飾しないのは、再婚相手を探しているのかと言われる始末でした。これを聞いた新九郎と盛定はマズイと感じます。

しばらく龍王丸の家督の話ができないなか、太田道灌は長尾景春の反乱鎮圧に動きます。その動きの速さに新九郎は焦りを覚えます。

一方で応仁・文明の乱の行方が見えてきていました。足利義視と大内周防介が音を上げ始めたのです。

伊都が髪を下ろしました。

新九郎は伊勢家に戦の手練れがいない事を少し気にし出しました。

6月。長尾景春が古河公方に降りました。享徳の乱は長尾景春の乱を抱え込んで最終章へ向かう事になります。

この頃、足かけ11年に及んだ応仁・文明の乱が大詰めを迎えようとしていました。

大内周防介政弘がそろそろ国に帰ろうとしていました。畠山右衛門佐義就はそれを聞いて考え込みます。

8月。伊勢貞宗の嫡男・福寿丸が元服し、七郎貞陸になりました。

9月。畠山右衛門佐義就が大内周防介政弘に別れを告げました。そしてその足で河内へ攻め込みました。

最も強硬派と目されていた畠山右衛門佐の離脱を聞いた新九郎は足利義視が見捨てられていくのを感じていました。

11月11日。今出川殿こと足利義視は京から東へと落ちて行きました。

12月27日。上野国榛名山の麓の広馬場で関東管領・上杉軍と古河公方・足利成氏との軍勢が雌雄を決しようとしていました。

しかし、天候は最悪です。大雪で視界が確保できない状況でした。

文明9年が暮れていき、文明10年が幕を開けます。

足利義政は山荘の造営に夢中になっていました。

そして新九郎は足利義尚が細川聡明丸の邸を訪問する際の御供衆を務めることになりました。

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