司馬遼太郎の「街道をゆく 肥前の諸街道」第11巻を読んだ感想とあらすじ

この記事は約4分で読めます。

覚書/感想/コメント

蒙古塚・唐津

元寇に関する記述がなされる。

糸島半島に蒙古塚というのがある。一二七四年に襲来してきた元軍だ。二万に及ぶ元軍のすべてがモンゴル人というわけではなかったと司馬遼太郎はいう。漢人や高麗人も多数混じっていた。

飛び道具において、鎌倉武士よりも圧倒的に優勢であった。日本の弓が百メートル程度しか飛ばなかったのに対して、倍以上も飛ばすことが出来た。武器は中国を含めたユーラシア大陸の広域から強力で新奇なものが選ばれていた。

そもそも、遊牧民族は、農耕するものを蔑む。工芸品を好むのに、作る職人も蔑む。全ては掠奪すれば事が済むからだ。だが、それがゆえに、商品の良否に強い関心を持つ。商業民族と似ている点である。

この元という王朝は商業を重視した。それ以前も以後も重農主義の王朝が続いたので、特殊といえる。

また、経済政策も特異だった。貨幣制度は紙幣一本槍で、銀が裏打ちになっていた。最初の頃は、紙幣の発行に対して銀の準備はできていたが、やがて追いつかなくなる。

元はつねに銀の備蓄に奔走する結果となった。これが元寇の出来の原因となる。どうも、日本は金銀を産出する島という誤った情報が伝わり、フビライがそれを信じ、崩れなかったようだ。

この元寇は、九州沿岸の水軍が朝鮮に怨みを抱くという結果を招いて、後の倭寇の出現につながったという説があるそうだ。

虹の松原という日本三景に数えられる景勝地がある。長さ八キロ、つまり二里あるので、「二里(にり)ノ松原」と呼ばれていた。これが、江戸期のいつ頃からかに「虹(にじ)の松原」と言い習わすようになったそうだ。

松浦党という集団がいた。源平の騒乱末期から出現している。平家の水軍の一部を形成していた。元寇の時にも出現する。この後、倭寇活動を開始する。

この松浦党の一族長に呼子殿と呼ばれる人物がいた。呼子遠江守源瑞芳という。この時期は倭寇の活動が沈静化していたようだ。

平戸

平戸島の松浦の殿さまというのは、武将というより貿易業者の面が強かった。相手は中国南部であり、やがてはポルトガル人などの南蛮人が相手となり、オランダ人が相手となる。同じく貿易に熱心だった対馬は朝鮮が専門だった。

オランダはスペインからの独立戦争を行い、独立が国際間で承認されたのは一六四八年である。日本では慶安元年、徳川幕府が政権を不動のものにした時期と重なる。

そのオランダが日本に出現するのは、徳川家康の時代になってからである。その時に、英人ウィリアム・アダムスが航海長としてオランダ船に乗っていた。後の三浦按針である。この当時、徳川家康も、貿易には不熱心ではなかった。

日本は国際相場からみると、金と銀の価格の開きが小さかった。そのため、オランダ人は日本に物を売って金で受け取り、買い物は銀で支払うだけで、巨額の利益を生むことになった。

この点をつかれて、幕末には金の大量流出という事態を引き起こすことになる。これは、佐藤雅美著「大君の通貨」に詳しい。

王直。多少の教養がある人物で、最初は塩商人であった。

塩は歴代の中国王朝にとって重要な財源だった。そのため長いこと専売制であった。一方で私塩がある。秘密の塩であるので、秘密結社として組織されていた。この組織は強い「信」の倫理習慣が出来ていた。

塩に失敗して海に出た王直は、日本、ルソン、安南、シャム、マラッカなどに渡り、巨利を得た。やがて、薩摩の坊津や五島列島の福江島を本拠とするようになる。

松浦隆信の時代に、この王直の本拠を平戸に誘致した。王直は市場に通暁していたので、かなり頼りにされていたようだ。

この王直がポルトガル船をひっぱってきて、鉄砲伝来となる。

蘭、英という非カトリック教国が日本に接触してきたのは、船舶の遭難という偶然によるものだった。その一人が英人の三浦按針だった。同じような処遇を受けた人物として、蘭人のヤン・ヨーステンがいた。

後に耶楊子(やようす)という漢字があてがわれ、「ヤヨスどの」と呼ばれた。二人とも拝領屋敷を与えられた。三浦按針は今日の日本橋一丁目、のちに安針町と呼ばれた土地。ヤン・ヨーステン(ヤヨスどの)は、八重洲(やえす)海岸にあった。八重洲の由来だそうだ。

横瀬・長崎

長崎はイエズス会によって開かれた町であった。イエズス会が、平戸から横瀬浦に移り、そこも出ざるを得なくなって、一旦福田に移り、長崎へと移動する。

「元は草原なりき」とよばれた寂しい海岸で、大村純忠の積極的な指導で、六カ町に町わりされ、今の長崎市の祖型が誕生する。

長崎の文化は、ポルトガルの南蛮時代から始まり、オランダの紅毛時代へと移って発展していく。

本書について

司馬遼太郎
街道をゆく11
肥前の諸街道
朝日文庫
約二〇〇頁

目次

蒙古塚・唐津
 震天雷など
 今津の松原
 虹の松原
 呼子の浦
 唐津の黄塵

平戸
 平戸の蘭館
 船首像
 尾根と窪地の屋敷町
 蘭人の平戸往来
 印山寺屋敷
 按針と英国商館
 宮の前の喧嘩

横瀬・長崎
 開花楼の豪傑たち
 横瀬の浦
 パードレ・トーレス
 福田浦
 長崎甚左衛門
 教会領長崎
 カラヴェラ船
 慈恵院

タイトルとURLをコピーしました