鎌倉の恋の神様

葛原岡神社(くずはらおかじんじゃ)は日野俊基(ひのとしもと)をお祀りする神社です。
葛原岡神社の創建は比較的新しく、1887(明治20)年のこと。当時、南北朝時代の南朝を再評価する機運があり、そうした中で建てられました。
建武中興十五社のように別格官幣社に昇格する動きもありましたが、実現しませんでした。

日野俊基は学才にすぐれていたため、葛原岡神社には学業成就のご利益もあるとされています。
「建武の中興」への道を開かれたことから「開運の神様」、また文章博士として優れた能力発揮されたことから「学問の神様」として知られます。


また、縁結び石の大黒様は良縁の神様として知られています。
御神体の木像は 二宮尊徳邸内の楠木で作られたと伝えられます。
良縁を望む方々の願いを広く叶えるため、平成二十二年に御霊を「男石」「女石」に迎えて「縁結び石」としてお祀りしたそうな。


祭神:日野俊基

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地図
〒247-0063 神奈川県鎌倉市梶原5-9-1
電話番号 0467-45-9002
国指定史跡:日野俊基墓

日野俊基は後醍醐天皇の倒幕計画に参加した罪で捕らえられ、日野資朝とともに鎌倉に護送されました(正中の変)。
この後、後醍醐天皇は再度倒幕計画を企てるのですが、これが露見し、日野俊基は再び捕らえられ、葛原ヶ岡で処刑されました(元弘の変)。
俊基は、鎌倉に入ることなく仮粧坂の葛原ヶ岡で斬首されたと伝えられています。
終焉の地は神社の中にあり、墓は神社から少し離れたところにあります。国の指定史跡です。
この時期については、「テーマ:鎌倉時代~南北朝時代(鎌倉幕府の滅亡)」にまとめています。

