日本史論述問題の論点(室町時代・安土桃山時代)

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※テキトーに振り分けておりますので、間違っているテーマ分類があります。おいおい整えますので、ご了承ください。

室町時代・戦国時代・安土桃山時代

政治史

南北朝

  • 2019年阪大:足利尊氏が発表した建武式目は、いかなる政治状況の下で定められ、北条泰時が制定した御成敗式目とどのように性格が異なるのか、また、室町幕府は御成敗式目をどのように扱ったのかを問われました。
  • 2016年筑波:『梅松論』の書かれた時代における政治の展開について、「元弘三年の今は天下一統に成しこそめづらしけれ」「新決所」「朕」「綸言朝に変じ暮に改りし程に、諸人の浮沈掌を返すが如し」を説明しながら回答することが求められました。
  • 2005年阪大:南北朝の内乱が日本の中世に与えた影響について問われました。
  • 2003年東大:南北朝内乱当時の武士の行動の特徴と、南朝は政権としては弱体でしたが南北朝内乱は全国的に展開し長期化した理由が問われました。
  • 2003年筑波:『神皇正統記』の一節を読み、「後三条」「此御代には院にて政をきかせ給へば、執柄はただ職にそなはりたるばかりになりぬ」を具体的に説明しながら、この時期の政治と社会について問われました。
  • 1999年筑波:「梅松論」の一節を読んで、「綸言朝に変じ暮に改りしほどに諸人の浮沈掌を返すがごとし」「公家に口ずさみあり。尊氏なしという詞を好みつかひける」「公家と武家水火の争にて元弘三年も暮にけり」の意味するところを具体的に説明しながら、この時期の政治状況について問われました。
  • 1997年筑波:室町幕府の確立過程について、「日本国王源道義」「太政大臣」「花の御所」「六分一殿」の語句を用いて述べるよう求められました。
  • 1991年東大:後醍醐天皇が政治改革でめざしたものと、北畠親房が天皇の政治に対して、どのような立場からどのような批判をもっていたが問われました。
  • 1989年筑波:建武政権の歴史的位置について問われました。

足利義満の時代

  • 2012年阪大:足利義満は花の御所や北山殿を拠点にさまざまな政策を展開して政治的な安定を図りました。足利義満が行った政治のうち、朝廷や外交にかかわる政策について問われました。
  • 2011年東大:室町幕府の運営や重要な政務の決定に参画した守護には、中央における職制上の地位にもふれながら、どのような共通点がみられるか、また、今川・上杉・大内の各氏が、在京を免除されることが多かったのはなぜか、義持の時期における安定は、足利義満の守護に対する施策によって準備された面がありますが、その施策の内容を問われました。
  • 2010年京大:足利義満の時代はどのような時代であったかをいくつかの側面から問われました。
  • 1989年一橋:近代以前の日本は、東アジア社会の一員として、他の地域と相互に影響を及ぼしあいながら、歴史を展開させてきました。次に掲げた年には、日本の対外関係史上重要な出来事が起きています。そのそれぞれについて、内外の歴史的背景と日本社会への影響を含めて説明が求められました。(1)607年、(2)894年、(3)1401年、(4)1543年

守護

  • 1996年東大:室町時代の守護は鎌倉時代の守護とどのような点が異なっているのか、また、室町時代の守護が直面した地方の武士のあり方と、それに対応して戦国大名が支配権を確立するためにうちだした施策について問われました。
  • 1994年筑波:鎌倉時代から戦国時代にかけて、守護はどのように勢力を増強し、また衰退したかについて「大番催促」「守護代」「六分一殿」「苅田狼藉」の言葉を用いて回答するよう求められました。
  • 1991年筑波:平安時代から室町時代にいたる土地制度の展開について「官省符」「半済」「知行国」「下地中分」の言葉を用いて回答するよう求められました。
  • 1976年東大:半済(はんぜい)について問われました。

徳政令

  • 2018年東大:室町幕府の財政にはどのような特徴があるか。その所在地との関係に注目して問われました。また、徳政令の発布が室町幕府に深刻な財政難をもたらしたのはなぜか。また、それを打開するために、幕府はどのような方策をとったかが問われました。
  • 1989年京大:鎌倉・室町両幕府の徳政令の内容と徳政令が出された動機を比較することが問われました。また幕府によらない徳政についても問われました。
  • 1986年東大:応永35年/正長元年(1428)将軍足利義持から足利義教に将軍が移り変わる際に、徳政が非常に広汎なものとなった背景の事情を3つ以上と、永仁の徳政令との相違点について問われました。

応仁の乱

  • 2014年東大:応仁の乱は、中央の文化が地方に伝播する契機になったが、そのなかで武士の果たした役割はどのようなものであったかを、乱の前後における武士と都市との関わりの変化に留意しながら回答するよう求められました。
  • 1981年東大:応仁の乱を境に起こった変化を、東洋学者の内藤湖南の文章を引き合いに問われました。
参考文献

教科書の範囲を逸脱しますが、応仁の乱については、下記の本が参考になります。

鎌倉公方

  • 2016年阪大:室町幕府は東国を支配する地方機関を関東に設置しました。京都の将軍権力との関係に留意しつつ、その機関はどのようなものであり、いかなる展開過程をたどったのか問われました。

戦国大名

  • 2011年阪大:戦国大名は領国経営のためさまざまな政策を打ち出しました。家臣団の編成・統制、および土地支配に関わる政策について問われました。
  • 2008年一橋:「分国法」に取り入れられている、社会の変化に対応した新しい紛争処理方式の内容が問われました。
  • 2008年筑波:戦国時代の群雄割拠と領国支配の特徴について、「上杉謙信」「寄親」「今川仮名目録」「石見大森銀山」の語句を用いて回答することが求められました。
  • 2002年東大:室町時代の地侍たちは幕府・大名・荘園領主たちと対立することもありましたが、具体的にどのような行動であったか、戦国大名は何を目的として城下町に家臣たちを集住させようとしたのか、近世大名は城下町に呼び集めた商人・手工業者をどのように扱ったか、近世の村がもつ二つの側面とその相互の関係について問われました。
  • 1988年東大:「今川仮名目録」で戦国大名の今川氏が「守護(使)不入地」に対する位置づけの相違をとおして、両者のちがいを明らかにしましたが、これを中心にして守護大名と戦国大名のちがいが問われました。
  • 1982年一橋:日本史の大まかな時代区分としては、鎌倉・室町時代を中世、江戸時代を近世と称し、いずれも封建社会とするのが一般的なとらえ方です。しかし、おなじく封建社会といっても、中世と近世とでは、社会と経済の仕組や諸階級・諸身分のありように大きな相違があります。そして、このようなとらえ方からすると、戦国大名の領国支配は、中世的性格をなお保ちながらも、近世へと移る過渡的特徴が顕著になってきているものといえます。この過渡的特徴が戦国大名の領国支配においてどのように現れているかが問われました。

織豊政権

  • 2013年一橋:人掃令の内容が問われました。町人は、どのような要件を満たせば町人身分として認められたか。町人身分の決定要件を2つあげて説明が求められました。百姓と農民の重ならない点(不一致点)を2つあげて、百姓と農民の関係について問われました。
  • 2009年東大:豊臣秀吉が戦乱の世をしずめ、全国統一を実現しましたが、秀吉は、戦乱の原因をどのようにとらえ、その解決のためにどのような方針でのぞんだか、また、自身の命令を正当化するために、どのような地位と論理を用いたか、全国統一には、鎌倉幕府以来の武士社会における結合の原理に基づく面がありますが、秀吉はどのようにして諸大名を従えたかが問われました。
  • 1998年一橋:武士・百姓両身分のあり方は、中世後期と近世でどのように異なっていたか、その変化の過程で、太閤検地が果たした役割が問われました。幕藩領主から課された負担の内容について問われました。百姓たちが自らの労働・生産をどのように共同して支えあっていたか、具体例を二つあげて問われました。

外交・琉球

  • 2010年筑波:14~16世紀における日本と中国の関係の推移について、「寧波の乱」「本字壱号」「永楽通宝」「倭寇」の語句を用いて回答することが求められました。
  • 2006年東大:15世紀に琉球が、海外貿易に積極的に乗り出したのはなぜか。また、トカラ島は実在の「吐[口+葛]喇列島」とは別の、架空の島ですが、こうした架空の話により、琉球王府が隠そうとした国際関係はどのようなものであったかが問われました。
  • 2006年一橋:応永の外寇の翌年に日本への使節が派遣されていますが、事件が起きた背景を問われました。方広寺及び大仏は、当代の政治あるいは政治的事件と密接に関わりありましたが、そのうち2つを指摘するよう求められました。15世紀から18世紀までの、朝鮮と日本との関係・交流の推移について、1510年、1592年、1609年に起きた出来事に重点をおいて説明が求められました。
  • 2001年筑波:14~16世紀における対外関係の展開について、「博多」「富山浦」「十三湊」「那覇」の語句を用いて回答することが求められました。
  • 1998年筑波:14~16世紀の貿易の展開について、「倭寇」「勘合」「応永の外寇」「琉球王国」の語句を用いて述べるよう求められました。

経済史

  • 2021一橋:室町幕府では貨幣経済の浸透や京都の支配を前提とした税目が重要な財源となりましたが、税目の名称と内容が問われました。
  • 2015年京大:税制や鋳造に留意しながら、鎌倉時代から安土桃山時代までの銭貨の流通について問われました。
  • 2010年阪大:室町時代には商業や交通がたいへん盛んとなり、それにともなって貨幣の流通がすすみました。この時代における金融業や貨幣経済の発展と、それに対する幕府の政策について問われました。
  • 2003年京大:日明貿易について貿易の開始から断絶までの過程を貿易の特色にふれながら具体的に問われました。
  • 2003年筑波:鎌倉・室町時代における商業の発達について、「三斎市」「座」「為替(割符)」「大原女」の語句を用いて回答することが求められました。
  • 2002年一橋:律令政府が貨幣を発行した目的、日宋貿易と日明貿易との性格の相違、宋銭や明銭の使途・機能について、徳川幕府が整備した貨幣制度の特徴について問われました。
  • 1998年東大:遣明船による貿易は、当時の日明間の外交形式にもとづき、明の認める枠内で行われていました。その外交形式や統制の手段はどのようなものであったか、また、遣明船貿易の変化について、変化のきっかけとなった事件や国内情勢にふれながら問われました。
  • 1993年一橋:1485(文明17)年に周防の守護大内氏によって出された撰銭令の一部を読み、法令を通じて大内氏が目指したのは何かが問われました。撰銭令は、15・6世紀に集中的に出されているが、それは何故かを、貨幣流通・国家のあり方の面から、江戸時代と対比させて問われました。貨幣流通の発展は、政治制度にも影響を与えました。貫高制はその主要な一つですが、貫高制の内容について問われました。

社会史

一揆

  • 2014年一橋:応仁の乱に始まる争乱の時代のなかで、浄土真宗が地方的展開をするが、その過程を問われました。その際、布教の中心的な担い手(人名)、布教の方法・組織が問われました。
  • 2008年東大:ある目的を共有して集団を結成することを、中世では「一揆」といいました。署名者相互のどのような関係を表現しているか、また、一揆が結成されることにより、参加者相互の関係は結成以前と比べてどのように変化したか、そして、中世の人々は「神」と「人」との関係をどのようなものと考えていたかが問われました。
  • 2002年阪大:中世の一揆の諸形態とその特徴について問われました。
  • 2002年筑波:正長から嘉吉の土一揆の時期の社会状況について問われました。
  • 2000年東大:戦国時代の一向一揆の行動の特徴、伴天連(キリスト教宣教師)が日本布教にあたってどのような方針を採ったか、秀吉が一向宗や伴天連門徒を「天下の障り」と考えた理由が問われました。
  • 2000年一橋:本居宣長の学問・思想の特質が問われました。一揆は中世にはより広いかたちで存在していました。中世の一揆と近世のそれとはどう関連しているのか、中世と近世の一揆の異同と両者の関連を説明が求められました。松平定信が行った農政について、その内容を問われました。
  • 1982年東大:中世の一揆と近世の一揆の変化の理由が問われました。中世では各階層にそれぞれ目的に応じて国人一揆、土一揆、徳政一揆、一向一揆などが存在しましたが、近世ではいわゆる百姓一揆のみが唯一の一揆だったことの理由が問われました。
  • 1978年東大:初期の土一揆が、京都・奈良をはじめとする畿内の地域に集中的におこり、かつ、その主力が農民であったことの理由を、この地域の農民社会の状態を絡めて問われました。

都市の展開

  • 2020年東大:16世紀において、山鉾はどのように運営され、それは町の自治のあり方にどのように影響したのかが問われました。
  • 2005年京大:新たに各地で成立した都市と、伝統的な都市における新しい展開が問われました。この都市の発達を、要因に触れつつ、具体的に述べる問題でした。

相続制度の推移と女性の地位の変化

  • 1977年東大:奈良時代から戦国時代にいたるまでの相続制度の推移と女性の地位の変化の大勢が問われました。

惣村

  • 2016年東大:15世紀から16世紀にかけて、京都郊外の桂川流域には、東寺領上久世〔かみくぜ〕荘をはじめ、領主を異にする小規模な荘園が多く分布し、それぞれがひとつの惣村としてまとまりをもっていました。灌漑用水の利用による生産の安定をはかるため、惣村はどのような行動をとったかを、近隣惣村との関係に留意しながら回答するよう求められました。
  • 2008年阪大:鎌倉時代後期から室町・戦国時代にかけて、地域社会では村落結合が成長・発展していきました。その自治組織の名称およびその構成・運営・機能について問われました。
  • 2007年一橋:惣村がそれまでの農業集落と異なる点を3点問われました。惣村が太閤検地によって変容した点を2点問われました。近世の村における年貢収納の仕組みの名称と内容について述べたうえで、それと中世の惣村における年貢収納の仕組みとの関係について問われました。
  • 2005年筑波:惣村の役割について問われました。
  • 1993年筑波:惣村の成立・展開とその特質について問われました。
  • 1992年東大:中世後期、近畿地方に発達した惣(惣村)が、みずから定めた惣掟の条項の大意を述べたものを読んだうえで、惣の特徴を読みとり、まとめて述べることが問われました。

文化史

  • 2013年筑波:室町時代の芸能について、「興福寺」「狂言」「足利義満」「能」の語句を用いて回答することが求められました。
  • 2009年一橋:初期の茶の湯において流行した方式を一つ問われました。将軍義政の頃に世に出て、新しい茶の湯の方式を創出した人物の名前をあげ、それがどのようなものか問われました。秀吉が「士庶人」の身分の別なく参加させて開いた茶会を何といい、それに参加した代表的茶人の名を一人問われました。『平家物語』はどのような物語であるか説明するとともに、これがどのようなかたちで広められていったのか問われました。『太平記』に描かれた時代は、大きく社会が変容した時代でもありましたが、どのように変容したのかが問われました。西川如見のいう「今の時世」とはどのような時世かが問われました。
  • 1999年東大:観阿弥・世阿弥、村田珠光、連歌会などに関する文章をふまえ、当時の民衆の状況と関連づけて、室町時代の文化の特徴について問われました。
  • 1995年筑波:室町文化の特徴について「五山文学」「水墨画」「猿楽能」「御伽草子」「連歌」の言葉を用いて回答するよう求められました。
  • 1994年東大:鎌倉末期から南北朝期にかけての時代には、文化が大きく変化しました。この時代の文化の新しい傾向とそれをもたらした要因について問われました。
  • 1990年一橋:13世紀の慈円「愚管抄」、14世紀の北畠親房「神皇正統記」、18世紀の新井白石「読史余論」のそれぞれの歴史のとらえ方の特徴について、その時代の思潮や政治動向と関わらせて問われました。
  • 1981年一橋:室町・戦国時代には、経済発展を背景として、民衆を担い手とする文化が発展しますが、文芸の分野にそくして問われました。

北山・東山文化

  • 1980年東大:鹿苑寺金閣と慈照寺銀閣の建築物の特色を、それぞれの時期の文化の性格と関連させて問われました。

15世紀の地方文化

  • 1990年京大:15世紀に地方の学問や文化にも新しい発展があり、東国・西国ともに文化の中心地が生まれましたが、東国・西国それぞれの代表例をあげ、この時代の地方文化や学問の動向について問われました。
関連する場所

東国では足利学校に代表されます。

宗教史

禅宗

  • 2018年阪大:室町時代の臨済宗は幕府の保護を受けて反映しました。政治的・文化的側面における臨済僧の活動について問われました。
  • 2007年東大:政治権力との関わりをふまえて、禅宗が生み出した文化の特徴および鎌倉時代に抑圧された宗派は、戦国時代までにどのように展開したかが問われました。
  • 2003年阪大:戦国時代には、仏教界にも下剋上の風潮が波及し、その勢力分布は大きく変動しました。この時期にとりわけ発展した仏教勢力の動向について問われました。
  • 2002年京大:「鎌倉新仏教」は室町・戦国時代により広く人々に受容されるようになりましたが、布教者、受容した人々やおよび広がった地域に触れながら「鎌倉新仏教」の広まりについて問われました。

キリスト教

  • 2019年北大:「太閤様」によるキリスト教禁止の主たる目的が、キリスト教から日本の主権を守ることにあったと解釈できる理由について問われました。
  • 2017年阪大:天正15(1587)年、豊臣秀吉はバレテン(宣教師)追放令を出しました。秀吉が追放令を発した理由と、この追放令の効果について問われました。
  • 2000年京大:16世紀半ばに伝えられたキリスト教は宣教師たちの布教活動により西日本を中心に広まりましたが、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康はキリスト教宣教師たちの活動に対してどのような対応をしたかを、その意図を含めて問われました。

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