日本史論述問題の論点(明治時代)

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※テキトーに振り分けておりますので、間違っているテーマ分類があります。おいおい整えますので、ご了承ください。

近現代史は国公立上位校の論述問題における比重が高い分野ですが、学校で習う時期が遅いため極端に差が出ます。圧倒的に私立が有利になります。

明治時代

政治史

  • 2021年東大:1884年に制定された華族令は、公・侯・伯・子・男の5つの爵位を設けただけでなく、華族の構成に大きな変化をもたらしました。その変化はどのようなものであり、またそれはどのような意図でなされたのかが問われました。1924年に発足した清浦奎吾内閣は、衆議院を解散したため、衆議院議員総選挙が行われました。これに対し、立憲政友会の総裁で、子爵であった高橋是清は、隠居をして、貴族院議員を辞職した上で、衆議院議員総選挙に立候補しました。高橋がこうした行動をとったのはどうしてかが問われました。
  • 2021阪大:1890年に帝国議会が開設されて以後長い間、地租問題は政界の争点であり続けました。初期議会から第2次山県有朋内閣までの地租問題の展開について、藩閥政府と政党との関係に留意しつつ述べるよう問われました。
  • 2013年東大:福井藩士橋本左内は幕末の公議政体論の先駆者として知られますが、この構想は従来の政治の仕組みをどのように変えようとするものであったか、また、維新の動乱を経て約30年後には新たな国家体制が成立しますが、その政治制度は橋本の構想とはかなり違うものとなっておりましたので、その主な相違点を問われました。
  • 2000年筑波:帝国議会開設前後の政治状況について、「超然主義」「条約改正」「民党」「品川弥二郎」の語句を用いて述べるよう求められました。
  • 1997年東大:五箇条の誓文と5枚の高札の文面が同時に手渡され、しかも両者が共通して対外関係について触れている理由と、維新初期の民衆政策のあり方について問われました。
  • 1994年東大:1873(明治6)年、大久保利通は諸国の政体を比較した上で、日本には君民共治の制がふさわしいと主張しました。なぜそう考えたのかを、当時の日本がおかれていた条件や国家目標を考えて問われました。
  • 1979年一橋:護憲三派内閣の性格について、その成立の経緯をふくめ問われました。
  • 1979年一橋:成立直後の新政府にたいし、欧米諸国はどのような政治的対応をしたかが問われました。また、京都や大阪の豪商は、新政府にたいして新しい動きをみせましたが、具体的な説明が問われました。江戸開城の翌月、五箇条の誓文の趣旨をふまえて政治機構を整備する方針が定められましたが、その文書の名称と内容上の特質が問われました。箱館戦争および相異なる統一国家について問われました。

政変・士族反乱

  • 2011年筑波:明治初期の士族について、「前原一誠」「秩禄処分」「士族授産」「徴兵令」の語句を用いて回答することが求められました。
  • 2007年筑波:明治前半期における軍事制度の確立について、「軍人勅諭」「西南戦争」「御親兵」「統帥権」の語句を用いて回答することが求められました。
  • 1999年京大:明治十四年の政変について、この前提となった諸条件、政変の内容、およびその影響を総合的に問われました。
  • 1998年阪大:明治維新期には士族反乱があいつぎましたが、元参議が中心となって起こした例を三つ挙げ、こうした士族反乱が起こった原因と、それが与えた影響について問われました。

廃藩置県

  • 2016年阪大:1879年に明治政府は沖縄県を設置しました。江戸時代における琉球王国の存在形態をふまえ、明治維新後の沖縄県設置にいたる過程について問われました。
  • 2014年阪大:明治維新によって中央政府と地方との関係が大きく変化しました。維新から1890年の府県制・郡制の制定まで、地方制度はどのような変遷したかを、その歴史的経緯について問われました。
  • 2003年阪大:発足当初の明治新政府がおこなった政治改革の一つに、廃藩置県がありますが、廃藩置県の内容と、その歴史的意義について問われました。

憲法制定

  • 2014年東大:大日本帝国憲法は、その内容に関して公開の場で議論することのない欽定憲法という形式で制定されました。それにもかかわらず民権派が憲法の発布を祝ったのはなぜかが問われました。また、民権派の植木枝盛らが執筆した『土陽新聞』の7月の論説は、新聞紙条例、出版条例、集会条例を改正し、保安条例を廃止すべきであると主張しました。これはどのような根拠にもとづいてなされたと考えられるかが問われました。
  • 2014年一橋:美濃部達吉の天皇機関説が問われました。天皇機関説事件は学問への統制を本格化させる契機となりました。これに先だって起きた大学の学問自治が侵害された事件をあげて、その内容が問われました。学制以降1930年代までの日本の大学の歴史について、教育制度の変遷を踏まえながら問われました。
  • 2011年一橋:井上馨の改正案の内容とそれが失敗に帰した理由が問われました。「泰西流儀を以て日本の法律を制定し」の内容を具体的に説明し、またこの延長上で1890年公布された法律とそれをめぐる論争の内容と論争の結果を問われました。山路愛山は、この時期の政府の欧化政策が条約改正には結びつかなかったものの、文化史の上では大きな影響を発揮したと評価しています。このことを念頭において、文学史を例にとり、前後の時期にも触れながら、この時期に起きた変化がなぜ重要かが分かるように説明が求められました。当時の政府の施策に対し、徳富蘇峰は『国民之友』誌上で、どのような批判を展開したかを問われました。
  • 2011年一橋:「私擬憲法」は、わが国の自己統治型の法の伝統をひく一方で、西欧の法思想の影響を受けていました。その一つは民選議院論ですが、その他にも今ひとつきわめて重要な法思想が存在しました。その名称を記し、その思想内容と、それが今日の法に与えている影響について問われました。
  • 2006年一橋:明治憲法の制定は、日本における政党政治の発展にとって重要な意義を持ちました。明治憲法の内容に即しながら、その理由が問われました。一方で、明治憲法は政党政治の発展にとっての障害ともなりました。明治憲法の内容に即しながら、その理由が問われました。明治憲法では、国務各大臣が天皇を直接補佐する方式がとられているため、総理大臣の権限は決して大きなものではありませんでした。明治憲法の制定後、総理大臣の権限を強化するために、どのような措置が講じられるようになったのかが問われました。
  • 2002年一橋:明治憲法では、陸海軍に対する最高指揮権は、どのように規定され、どのように解釈されていたか、また、明治憲法では、陸海軍の兵力量の決定権は、どのように規定されていたかが問われました。陸海軍は、内閣からの統制を阻む独特の制度によって、政治的にも保護されていました。その制度の内容と、その歴史的変遷について問われました。明治憲法は、その第20条で「日本臣民ハ法律ノ定ムル所ニ従ヒ兵役ノ義務ヲ有ス」と定めていました。戦前日本の兵役制度について、植民地である朝鮮・台湾も含めて問われました。
  • 1996年一橋:自由民権運動の中で作られた立志社の手になる「日本憲法見込案」、交詢社の「私擬憲法案」の二つの私擬憲法と、明治政府が制定した大日本帝国憲法を読み設問が出されました。伊藤博文らは、交詢社案のどこが危険であると感じたのかが問われました。立志社の憲法草案は、交詢社案と比べても、また後の大日本帝国憲法と比べても、いくつかの特徴を持っている。その特徴3つが問われました。第二十九条は、表現の自由を保障した規定であるが、この保障の仕方は決して十分なものではありませんでした、その理由を問われました。天皇の持っていた権限の特徴を、他の私擬憲法と比較して問われました。
  • 1995年東大:大日本帝国憲法の時代における女性の地位とその変遷について問われました。
  • 1991年東大:明治維新を通して権力を撃握した藩閥政府は欧米諸国を範とする近代国家の建設を進めました。その一つの到達点が1889(明治22)年に制定された大日本帝国憲法で、翌年憲法の規定にもとづき帝国議会が開設されました。衆議院では民党か多数を占め、政府と激しく対立します。そこでの争点の最大のものは地租問題でしたが、条約改正もまた大きな問題でした。議会開設前後から初期議会期を通じて、条約改正をめぐる議論が展開されました。その際に政府と民党との間に改正の内容や方法についてどのような論点をめぐる対立が生じたのかについて問われました。
  • 1985年一橋:帝国議会の開設にむけての、1881(明治14)年の政変から1889(明治22)年の憲法発布の間に関して。地方制度や官僚制、軍隊、議会、皇室のそれぞれの改革の具体例を示し、それらがどのような時代背景のもとで何を目的に実行されたかが問われました。第一次山県内閣の下で、官僚、軍隊、選挙の各制度の改革と治安立法の名称が問われました。日清戦争を経て、日本資本主義の発展、政府と政党の関係の変容、藩閥内部での政党に対する対応の変化などがおこりますが、内容を具体的に述べ、それらと前述の各改革との関係が問われました。

政党政治

  • 2008年東大:1898年に成立した第一次大隈重信内閣は、はじめての政党内閣と呼ばれ、1918年の原敬内閣の発足は、本格的な政党内閣の成立と言われています。二つの政党内閣が成立した事情は、どちらも戦争と深く関わっています。第一次大隈重信内閣について、その成立と戦争との関連を問われました。原敬内閣が、第一次大隈重信内閣とは異なり、のちの「憲政の常道」の慣行につながる、本格的な政党内閣となったのはなぜか、その理由を問われました

外交史

日清・日露戦争

  • 2020年東大:軍人が実践すべき道徳を論じた明治時代の史料から、主張の背景にある、当時の政府の方針と社会の情勢について、また、規律を掲げた政府の意図はどのようなものだったかを、当時の国内政治の状況に即しながら問われました。
  • 2013年一橋:戦争が始まって6日後の『平民新聞』に掲載された社説の一部をよんで戦争の名称について答え、「幾千万、幾億万の公債」「諸般歳計の膨張」「荷重の増税」が、政策として実際にどのように行われたのかについて問われました。この社説を執筆したと考えられる人物を2名問われました。ある外務大臣の閣議での発言を読んで人物の氏名、および彼が参戦を呼びかけている戦争の名称について問われました。日本が参戦した目的、それを実現するためにとった行動、その後の結末について問われました。
  • 2008年京大:明治維新から日清開戦にいたる日本と清国との政治・外交関係の推移について問われました。
  • 2007年東大:石橋湛山が、1921年のワシントン会議を前に発表した「一切を棄つる覚悟」の一部を読みながら、「満州を棄てる」とは何を棄てることを意味するのか、「唯一の道」をその後の日本が進むことはなかった理由が問われました。
  • 2005年京大:日清戦争終結時から1904年2月の日露開戦までの日本の外交について問われました。
  • 2004年阪大:日清戦争終了後、日露戦争が始まるまでの時期における政党の動きについて問われました。
  • 2002年東大:ジャーナリスト徳富蘇峰が1916(大正5)年に政府のロシアに対する外交政策を支持する立場から国民の対露感情を批評したものをよみ、文章に言う「怖露病」がもっとも激しかったのは日清戦争直後のことであったが、その国際関係上の背景と、「明治三十七八年役」の後、文章の執筆時において日露両国政府の関係は戦争前とは大きく変化していきましたが、その変化の内容と理由が問われました。
  • 2002年一橋:日清戦争・日露戦争後、日本の産業革命が達成されました。日本のこの産業革命の特徴を繊維工業(製糸業、綿紡績業、織物業)、重工業に即して、また農業との関連に言及して回答が求められました。
  • 1988年一橋:山県有朋首相の1890年(明治23)の意見書、「外交政略論」の一節を読んで西南戦争以降、この時期までに行なわれた軍事上の改革について、日清戦争の開戦に至る日本の対朝鮮政策について、国民的自覚を促す言論活動が活発となりましたが、その内容が問われました。
  • 1987年一橋:1901年(明治34)に出版されたある社会主義者の書物の一節を読んで、「北清の事件」とはどのような事件か、1901年前後の「台湾の経営」の経済的特徴、政府が増税に次ぐ増税を行ったことについて問われました。
  • 1983年一橋:日清・日露戦争を経てわが国の貿易のあり方は大きく変化しています。そのことを、輸出入の両面について説明し、あわせてそのような変化がなぜ生じたかを特にわが国工業の発展に即して問われました。当時の日本は「南満」をどう「経営」したか。この講演が1906年12月におこなわれていることを念頭において具体的に問われました。日露戦争後の時代思潮には日清戦争後とは異なった特徴があらわれてきます。そうした特徴をよくあらあす思潮をひとつとりあげてその内容を論ずるとともに、それがなぜ日露戦争後の時代にあらわれるようになったかを問われました。

日朝関係

  • 2019年北大:日本が韓国を併合するまでの過程を問われました。
  • 2006年阪大:韓国併合にいたる近代の日朝(韓)関係の歴史について問われました。
  • 1999年阪大:一八八〇年代後半に登場した「脱亜論」について、こうした主張が生れてきた背景と、その歴史的意味について問われました。
  • 1994年一橋:日朝修好条規が締結されるのに直接的な契機となった外交上の事件の名称と、その事件が直接的な契機となった理由が問われました。この条約によって、「朝鮮国」と「日本国」は「平等ノ権ヲ保有」するようになったとは言えませんでした。その理由が問われました。「平等ノ権ヲ保有」することにはならなかったにもかかわらず、「朝鮮国ハ自主ノ邦ニシテ日本国ト平等ノ権ヲ保有セリ」書かれているのはなぜかを、この時期の東アジア世界の国際秩序に留意して問われました。

日英同盟

  • 2008年阪大:近代日本の外交関係の基軸をなしていたのは日英同盟ですが、この日英同盟の成立から廃棄に至るまでの展開について問われました。

経済史

殖産産業

  • 2012年阪大:明治維新後、新政府が行った殖産興業政策において、官営事業は重要な役割を果しました。新政府成立直後から松方財政期までの官営事業の展開について問われました。
  • 2009年一橋:第二次農地改革では、小作料と地主の所有地についてどのような措置がとられたか、またその結果、どのような変化が生じたかが問われました。田畑永代売買の解禁から地租改正を経て松方財政下のデフレーションまでの過程で、どのようにして寄生地主制が形成されたかを、土地所有制度と課税制度の変化に着目しながら問われました。「明治憲法体制の一翼を担うことになった」について、町村制と帝国議会衆議院を例にとり、具体的に回答が求められました。この時期の小作農民の運動が掲げた要求を2つ書き、全国組織の名称が問われました。
  • 2007年一橋:「紡績会社」の設立について、渋沢栄一が関係した事例として、1880年代に日本最新・最大の1万錘紡績として成功した会社名を挙げ、また紡績業が産業構造と貿易構造にもたらした革命的意義-いわゆる産業革命-について問われました。1880年代の「工業の勃興」とは何と呼ばれるか、また「工業の勃興」を促した「株式」に関連して、日本最初の「株式会社」といわれる、渋沢栄一によって設立された金融機関名を挙、それをふまえ明治期に「株式」所有者となり、会社を設立し、資金を投下した主な社会階層を3つ挙げてその役割が問われました。工業社会の「惨状」とは何を指すのか、またなぜ「実際惨状に陥りたるは、第一に会社勘定に困りたること、第二に輸出品少なくして輸入品の多かりしこと、第三に株主が会社の利益を外にして株式の利益に熱中すること」の3点が「惨状」の「主因」なのか問われました。
  • 2006年東大:日本における鉄道の発達にかんして、1904年度と1907年度とを比較すると大きな変化がみられますが、その理由が問われました。また、1889年度から1901年度にかけて鉄道の営業距離はどのように変化したか。その特徴と背景を問われました。このほか、官設鉄道建設費の推移を見ると、1919年度から1922年度にかけて急激に増加していますが、当時の内閣はなぜこのような政策をとったのかが問われました。
  • 2004年一橋:日本の産業革命は1886年ころから1907年前後にかけて進行しました。製糸業、綿糸紡績業の特徴的な技術変革が問われました。製糸業については輸出市場、綿糸紡績業については輸入市場に即して安定した市場条件について問われました。官営八幡製鉄所が、福岡県八幡村に設立された理由が問われました。日本鉄道会社が東北から関東を縦断するこの巨大な幹線鉄道を建設するために莫大な資金をどのように調達したかが問われました。
  • 2001年東大:明治時代の日本における銅の生産がこの時期の日本の経済発展にはたした役割について、銅の生産がもたらした社会問題について問われました。
  • 1993年一橋:1881(明治14)年の政変で国会開設を公約した政府は、それにそなえて官制の改革や諸制度の導入など支配体制の整備を着々とおしすすめました。市町村制(1888年)と帝国憲法の公布(1889年)および帝国議会の開設(1890年)を画期に成立した明治憲法体制は、その選挙制度からみて、地主の利益を擁護するものでしたが、市町村会議員、衆議院議員、貴族院議員の選出方法と関連させて問われました。明治維新以降、地主制発展の契機となった政策を二つあげ、それがいかなる意味でそうなのか問われました。非農業部門の「新しい動き」とは何か。また、それが「産業革命の端緒」と言われるのはなぜか、産業革命の概念とかかわらせて問われました。
  • 1992年筑波:和辻哲郎『自叙伝の試み』の一節を読み、「紺屋の没落」をはじめ、母親が機織りをやめたのは、社会と生活のどのような変化によってもたらされたのかが問われました。
  • 1986年一橋:日清戦争後、日本の産業革命は急速な進展をみせます。製糸業と日本の産業革命との関係を当時の貿易構造に即して問われました。産業革命にたいする政府の役割を具体的事例が問われました。産業革命と並行して農村では寄生地主制が発展し、資本主義との結合を深めましたが、これについて具体的に問われました。

社会史

  • 2021一橋:江戸幕府崩壊後、東京の人口が急減した理由が問われました。1920年代から1930年代の東京府の人口、特に郊外の人口が急増した社会的原因を問われました。1940年から1955年までの間、東京府(東京都)の人口がいったんは急減した後、増加した社会的原因が問われました。
  • 2010年東大:明治政府は、条約改正交渉を担当した井上馨を中心として、法律・美術・社交・生活習慣といった幅広い分野での欧化を促進しました。これに対して、1887年頃には政治と文化の両面で、欧化主義への反発が方向の違いをふくみながらあらわれました。このような反発の内容と背景を問われました。
  • 2004年東大:地租改正と農地改革は、近代日本における土地制度の二大改革でした。土地制度はそれぞれどのように改革されたのかが問われました。
  • 2003年東大:「米の配給」はどのような背景の下で何のために作られた制度か、食生活の変容をもたらした要因は何か、明治時代の農村の人々はなぜ都市の人々ほど米を食べていなかったのかが問われました。

民衆運動

  • 2018年京大:明治・大正期の社会主義運動の展開について問われました。
  • 2017年阪大:日露戦争の終結時から第1次世界大戦前にかけ、首都東京を中心に政府を批判する大規模な民主運動が相次ぎました。政治的な影響に触れつつ、これらの民衆運動について問われました。
  • 2014年一橋:「自由童子」とも名のり、「オッペケペ一節」を歌って大流行させた人物の氏名が問われました。「堅い上下(かみしも)角とれて」は、どのようなことを象徴的に表現していると考えられるかが問われました。「貴女に紳士のいでたちで うわべの飾りはよいけれど 政治の思想が欠乏だ」は、当時のある政策への直接的な批判がこめられていると考えられますが、それは何を目的としたどのような政策か問われました。「オッペケペ一節」を大流行させた人物の一座は、1900年のパリ万国博覧会をはじめとした欧米での公演によって、より広く知られるようになります。「壮士芝居」などとも称される、こうした演劇が登場してくる政治的な背景と意味について問われました。また、あわせて演劇史上における意味についても問われました。
  • 2007年阪大:明治期における社会問題の発生と社会運動の展開について問われました。
  • 2000年一橋:産業革命期における労働争議は低調ですが、1898年には交通部門で大規模な労働争議が発生しました。その争議を記し、これを促した当時の労働組合結成の状況を問われました。1908年から1913年までの労働争議件数は、統計資料上、不明ですが、この間の1912年には日本労働運動史上画期的な労働団体が創設されています。その団体の名称、創設者と、その団体の立場・目標が問われました。1917年から19年の第一次世界大戦中・後にかけて労働争議は急増しています。この急増をもたらした経済的要因が問われました。1925年以降32年ころにかけて労働争議は再び増加しています、この時期の労働争議の特徴を、労働組合、争議の規模、要求内容の三点に即して回答が求められました。

身分制度の変遷

  • 1997年阪大:近世の身分制が、どのようにして形成され、崩壊したか、またその特徴は、いかなるものであったかが問われました。
  • 1983年一橋:明治政府は、1871年、封建的身分制度を廃しました。原則的には四民平等を定めましたが、具体的な内容を問われました。全国的な戸籍編制によって国民がどのように編成されたか、その結果どのような問題が残されたか問われました。最初の全国的戸籍編成と、第2回目のそれとの間には、長い時間的空白がありましたが、2回目の編成の目的・方法の特徴、空白の時代がいつか、その長い空白の理由が問われました。

文化史

  • 1997年筑波:御雇い外国人ベルツが明治10年1月1日に東京で記した日記を読んで、明治初年代の生活・文化の変容について「元日が「暦の上で変って」しまったし」「国民自身は政府が、かってはかれらにとって神聖であったいっさいのものを、遠慮容赦もなく取扱う」「今日の機会に、西洋の風習の誤った模倣ぶり、しかも醜悪(グロテスク)なまでの模倣ぶり」について問われました。

初等教育の普及

  • 2013年京大:教育法令の変遷や男女の就学率に留意して明治期における初等教育制度とその普及について問われました。
  • 2010年阪大:明治政府は近代的学校教育の普及に力を注ぎましたが、近代化に大きな役割を果たした明治期における小学校教育の展開について問われました。
  • 1982年一橋:近代教育制度は、1872(明治5)年の学制によって発足しましたが、1886(明治19)年の学校令によって教育理念の大幅な転換がはかられました。「教育理念の大幅な転換」の内容を問われました。1890(明治23)年の教育勅語はその教育理念を裏づけるものであったが、翌年には内村鑑三の不敬事件が起き、事件を契機に教育と宗教との関係をめぐる論争がおこり、キリス卜教に対する批判がつよまりました。この立場を代表する人物一名の名前を記しその主張を問われました。日露戦争の前年には、教育制度に対する国家統制が強化されましたが、「国家統制」の内容が問われました。さらに1911(明治44)年には、小学校の日本歴史教科書の内容に対して政治的な干渉を加える事件が起こりましたので具体的な内容を問われました。

宗教史

2018年阪大:明治政府による神道国教化政策の内容、およびそれが社会に与えた影響について問われました。

参考文献

教科書の内容を逸脱しますが、安丸良夫「神々の明治維新―神仏分離と廃仏毀釈―」が詳しいです。

教科書の内容の理解を深める本

高校の日本史教科書を書き改めた一冊です。

山川出版社「詳説日本史」に準拠した最も詳しい一冊です。

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