日本史論述問題の論点(鎌倉時代)

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※テキトーに振り分けておりますので、間違っているテーマ分類があります。おいおい整えますので、ご了承ください。

鎌倉時代

鎌倉時代の開始時期については諸説あります。3つの諸説(東国支配権の承認を得た1183年説、守護・地頭設置権を認められた1185年説、1192年の源頼朝征夷大将軍就任説)が有力です。

有力な説が複数あるということは、問題として出題できない、ということになります。

他の時代についても同様ですが、定説がない論点を問題として出題すると、出題者の学者としての見識が問われます。

ひいては大学のレベルを問われるので、上位校であればあるほど、定説がない論点を問題として出題することを避けます。

政治史

御家人制度

  • 1980年東大:律令国家の軍団の制度と鎌倉幕府の御家人の制度とを比較しつつ、それぞれの軍事制度としての特色が問われました。

執権政治の確立

北条時政・北条義時
  • 2019年京大:執権政治の確立過程における北条時政と北条義時が果たした役割が問われました。
承久の乱(武家政権の成立)
  • 2021阪大:承久の乱は、朝廷と鎌倉幕府の関係を大きく変化させる契機となりました。乱後、両者の関係はどのように変化したのかについて問われました。
  • 2019年東大:後鳥羽上皇が隠岐に流される原因となった事件について、その事件がその後の朝廷と幕府の関係に与えた影響にもふれつつ問われました。また、持明院統と大覚寺統の双方から鎌倉に使者が派遣されたのはなぜか。天皇家の系図を参考に、朝廷の側の事情、および事件以後の朝廷と幕府の関係に留意して問われました。
  • 2015年東大:御家人の所領が全国に分布することになったのはなぜか。鎌倉幕府の成立・発展期の具体的なできごとにふれながら問われました。また、こうした所領を御家人たちはどういった方法で経営したか。また、それがその後の御家人の所領にどのような影響を与えたかが問われました。
  • 2015年筑波:13世紀の政治体制の推移について、「永仁の徳政令」「執権」「承久の乱」「御成敗式目」の語句を用いて回答することが求められました。
  • 2009年筑波:「承久の乱」前後の朝廷と幕府の関係について、「新補地頭」「九条頼経」「後鳥羽上皇」「執権」の語句を用いて回答することが求められました。
  • 2008年京大:鎌倉幕府における将軍のあり方の変化とその意味について問われました。
  • 2004年筑波:鎌倉時代における政治の展開について、「道理」「評定衆」「承久の乱」「北条泰時」の語句を用いて回答することが求められました。
  • 1999年京大:承久の乱から鎌倉幕府の滅亡にいたるまでの間の公武両政権の関係について問われました。
  • 1999年阪大:承久の乱が勃発した原因とその歴史的影響について問われました。
  • 1992年筑波:鎌倉幕府前半期の政治的性格について、「皇族将軍」「征夷大将軍」「御成敗式目」「以仁王」の言葉を用いて回答するよう求められました。
  • 1987年東大:朝廷が治承5年に養和、翌年に寿永と改元したにもかかわらず、建久8年(1197)に荘官が荘園領主ヘ提出した報告書では治承の年号がそのまま使われている理由と、荘園と東国武士団との関係から読み取れる武家政権の成立の意義を問われました。
承久の乱前後

教科書の範囲を逸脱しますが、北条氏の台頭から承久の乱前後については、下記の本が詳しいです。

北条泰時(六波羅探題)
  • 2017年東大:鎌倉幕府が京都で裁判を行うようになった経緯と、鎌倉幕府が九州について博多で下された判決は幕府の最終的な判断とする措置がとられ、九州の御家人が鎌倉に訴え出ることは原則として禁じられる措置をとったのはなぜか。当時の軍事情勢に留意しながら回答するよう求められました。
  • 2016年一橋:御成敗式目の立法趣旨や内容、効力をもつ範囲について問われました。
  • 2011年一橋:御成敗式目が自己統治型の制定法となりえた社会経済的、政治的条件について問われました。
  • 2008年一橋:「御成敗式目」の特徴を、「律令」と対比させて問われました。
  • 2009年阪大:鎌倉幕府は承久の乱の後、政治的な安定期を迎えました。北条泰時および北条時頼が行った政策をあげながら、その政治の特徴について問われました。
  • 2005年東大:鎌倉幕府執権北条泰時が、弟の六波羅探題重時に宛てて書き送った書状をもとに、御成敗式目を制定した意図と、当時の朝廷と幕府との関係をふまえて泰時が書状を書き送った理由が問われました。
得宗専制
  • 1979年東大:鎌倉時代後期の幕府政治は、北条氏嫡流家による得宗専制の時代を現出しましたが、そのような支配体制が生まれた事情を、元寇との関連を中心に問われました。
  • 1997年東大:北条氏と将軍との関係、反北条氏勢力と将軍との関係の双方に触れながら、鎌倉幕府の体制のなかで、摂家将軍(藤原将軍)や皇族将軍はどのような存在であったかが問われました。また、護良親王は、鎌倉後期に絶大な権力を振るった得宗(北条氏嫡流)を、あえて「伊豆国の在庁官人北条時政の子孫」と呼びました。ここにあらわれた日本中世の身分意識と関連づけながら、得宗が幕府の制度的な頂点である将軍になれなかった(あるいは、ならなかった)理由が問われました。

元寇

  • 2012年京大:平安時代末期以降から鎌倉時代末に至る日本と中国との関係、日本が中国から受けた影響について問われました。
  • 2004年阪大:日本と宋・元との交渉の実態と、それらが日本社会に与えた影響について問われました。
  • 1998年阪大:モンゴル(蒙古)襲来が、その後の日本社会に与えた政治的文化的影響について問われました。
  • 1995年京大:14世紀の日本が受けた外国の影響を、経済、政治、文化・思想の各方面について問われました。
  • 1993年東大:二度の合戦(1274年文永の役、1281年弘安の役)における日本軍の戦いかたには、モンゴル軍とくらべてどのような特徴があった、また、朝鮮半島の国高麗の政府や人民は、この戦争でどのような役割を果たし、モンゴルの対日本戦略にどのような影響を与えたかが問われました。
  • 1989年東大:日明貿易との関連にも注意しながら、元寇後の日元貿易について問われました。

徳政令

  • 2015年阪大:鎌倉時代後期になると御家人の窮乏化が顕著となります。その原因と幕府はそれにどのように対応しようとしたのかが問われました。また、この窮乏化が御家人の一族における結合のあり方にどのような変化をもたらしたのかが問われました。
  • 2011年筑波:永仁5年(1397)7月22日に鎌倉幕府が出した法令の一部を読み、「質券」「御家人」「本主」「凡下〔ぼんげ〕の輩」の語句を用いて、幕府がこの法令を出した政策意図について、社会的背景をふまえながら回答することが求められました。
  • 1989年京大:鎌倉・室町両幕府の徳政令の内容と徳政令が出された動機を比較することが問われました。また幕府によらない徳政についても問われました。
  • 1988年一橋:鎌倉時代の徳政令は、何を目的として発布されたものか問われました。また、分一銭の取得方法についても問われました。徳政一揆が室町時代後期に頻発した理由も問われました。

鎌倉時代の荘園制(守護・地頭)

  • 2021年東大:13世紀の荘園に関して、荘園領主が検注を実施しようとした理由、および、地頭請は地頭の荘園支配にどのような役割をはたしたかを、検注や開発との関係にふれながら問われました。
  • 2019年一橋:大田文の作成目的を含め、鎌倉時代までの土地領有関係の変遷について問われました。
  • 2017年京大:幕府・地頭の動向に留意して、鎌倉時代における荘園支配の変遷について問われました。
  • 2014年阪大:鎌倉幕府が国単位に設置した守護は時代とともに権限を拡大し、室町時代には守護大名が登場しました。鎌倉時代から室町時代にいたる守護の職権の変遷について問われました。
  • 2001年阪大:中世における守護・地頭の歴史的役割について問われました。
  • 1994年筑波:鎌倉時代から戦国時代にかけて、守護はどのように勢力を増強し、また衰退したかについて「大番催促」「守護代」「六分一殿」「苅田狼藉」の言葉を用いて回答するよう求められました。

東国・東北政策

  • 1996年筑波:9~12世紀における東北地方の政治的動向について、京・鎌倉の政権と関連させつつ、「多賀城」「中尊寺金色堂」「俘囚」「藤原秀衡」「安倍頼時」の語句を用いて述べるよう求められました。

経済史

  • 2015年京大:税制や鋳造に留意しながら、鎌倉時代から安土桃山時代までの銭貨の流通について問われました。
  • 2012年一橋:11世紀後半頃から博多が、さらに14世紀後半頃から堺が発展しましたが、博多と堺が発展した理由と、それぞれが近世にかけてどのように変化したかについて問われました。
  • 2004年東大:12世紀以降の日本で流通した皇宋通宝、永楽通宝、寛永通宝について問われました。
  • 2003年筑波:鎌倉・室町時代における商業の発達について、「三斎市」「座」「為替(割符)」「大原女」の語句を用いて回答することが求められました。
  • 1995年東大:鎌倉時代末期から室町時代にかけての商業・貨幣流通のあり方について問われました。代銭納・中国銭・為替の三つの語句を使用することが求められました。

社会史

惣領制

  • 1990年筑波:中世武士団の成立と展開を「惣領制」「大名」「国人一揆」「悪党」の言葉を用いて回答するよう求められました。
  • 1985年東大:三代目執権の北条泰時が行った裁判の説話を基に、この時代の武士社会の特質について問われました。
  • 1976年東大:鎌倉末期以降、武士の社会的結合がどのように変化したかを、主従関係の変化と関連させて問われました。

相続制度の推移と女性の地位の変化

  • 1977年東大:奈良時代から戦国時代にいたるまでの相続制度の推移と女性の地位の変化の大勢が問われました。

都市の発展

  • 1990年東大:院政時代から鎌倉時代にかけての京都と鎌倉の都市の発展についての特徴が問われました。

農業

  • 2013年阪大:鎌倉時代の農業は農業技術の発達に支えられ、耕地の拡大だけでなく単位面積あたりの収穫増をめざす集約化に向かいました。この時代の農業の発展について問われました。

文化史

  • 2017年阪大:奈良時代の東大寺の主要な伽藍は、治承4(1180)年12月に焼失し、鎌倉時代に復興されました。東大寺はなぜ焼失し、どのように復興が進められたのか、また、復興に際して採用された建築様式にはどのような文化的特徴を持つのかが問われました。
  • 2005年一橋:旅行者による紀行文を一つあげ、作者名と旅行の目的が問われました。
  • 1990年一橋:13世紀の慈円「愚管抄」、14世紀の北畠親房「神皇正統記」、18世紀の新井白石「読史余論」のそれぞれの歴史のとらえ方の特徴について、その時代の思潮や政治動向と関わらせて問われました。

宗教史

鎌倉仏教

  • 2014年筑波:13世紀における日本と中国の交流について、「蘭溪道隆」「防塁」「銭納」「栄西」の語句を用いて回答することが求められました。
  • 2006年阪大:禅宗は鎌倉・室町時代に幕府の保護をうけて大いに発展しました。主な禅宗寺院および禅僧の名をそれぞれ三つ以上挙げながら、鎌倉・室町幕府と禅宗との関係について問われました。
  • 2006年筑波:鎌倉時代の仏教について、「法華経」「戒律の重視」「座禅」「専修念仏」の語句を用いて回答することが求められました。
  • 1983年東大:他の時代ではなく、平安末・鎌倉という時代にのみ、すぐれた宗教家が輩出したのかが問われました。尚、この問いは正解があるわけではなく、歴史の流れを総合的に考えて自由な立場から書くことが求められました。網野善彦著「無縁・公界・楽」の序文に書かれている内容が設問のベースになっています。
  • 1977年東大:法然・親鸞・一遍、栄西・道元、日蓮の三つに分けて、それそれを特色づける教えが問われました。併せて、古代仏教と比較した時に、法然・親鸞・一遍と日蓮との教えには、どのような特色が共通してみられるか問われました。

教科書の内容の理解を深める本

余力があれば、複数の一般書を読み比べるのが良いです。

高校の日本史教科書を書き改めた一冊です。

山川出版社「詳説日本史」に準拠した最も詳しい一冊です。

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