【式内社】白河神社と白河の関(福島県白河市)源義家や源義経が東北入りに通過した奥州三関の一つ白河関跡[国の史跡]

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白河関跡の中を散策

奈良時代から平安時代頃に機能していた国境の関で、物資の往来を取り締まる機能を果たしていたと考えられているそうだ。

「歌枕」として能因や西行、松尾芭蕉など歌人・俳人たち多くの歌を残している。

境内には樹齢800年と言われる「従二位の杉」がある。

また、このルートを使って源義家や源義経が東北へ入ったといわれている。

福島県の式内社
福島県内の式内社。海沿いと旧東山道沿いが多い印象。式内社は延喜式神名帳(えんぎしき じんみょうちょう)に記載された神社をいう。延喜式神名帳は、延長5年(927年)にまとめられた「延喜式」の巻九・十のこと。当時「官社」に指定...
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奥州三関の一つに数えられる関所

白河の関は、鼠ヶ関・勿来関とともに、奥州三関の一つに数えられる関所。

8・9世紀頃に機能していたと考えられているようで、律令国家としての機能を失った10世紀頃には機能しなくなっていたようだ。そのため、長いことその所在が不明となった。

江戸時代の寛政12年(1800)。白河藩主松平定信が調査を命じて、考証の結果、空堀・土塁が残っていることなどから白河の関であると断定して「古関蹟」の碑を建てた。

昭和に入り、ここが白河の関かどうかを確かめる発掘調査が行われた。

昭和34年から5年に渡る調査で白河関跡の条件にかなう点が多く発見され、国指定の史跡となった。

10世紀頃には機能を失っていたとなると、源義経がここを通過したとされる時には関はなかったということになる。

さて、白河の関の場所だが、道の駅・東山道伊王野から白河方面に向かって最初の信号を右折し、そのまま山道を超えるとたどりつく。

ようするに義経街道を通ることになるが、文字通りの山道になる。車の運転に自信がない人は通るのをあまりオススメしない。場所によってはすれ違いに気を使う。

非常に穏やかな場所にあり、鎌倉の護良親王墓所の様なたたずまい。

東山道に設けられた関所ということなので、道の駅・東山道伊王野からの道が東山道ということになる。

感覚的には294号線を北上して南湖にたどり着く道の方が自然に思える。

東山道は途中いくつにも枝分かれしていて、総称で東山道と呼ばれていたのではないだろうか。同じように白河の関も複数あって、総称で呼ばれていたのではないかと思った。

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