テーマ:江戸時代(幕末)

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幕末をまたぐ江戸時代後期~明治初頭にかけての人口推計は次のようになります。

  • 天保11(1840)年 31,102,100
  • 弘化3(1846)年 32,297,200
  • 明治6(1873)年 33,300,700

黒船来航

天保13(1842)年、清国がアヘン戦争でイギリスに敗れます。

幕府は衝撃を受け、異国船打払令を緩め、薪水給与令を出して漂着した外国船に薪水・食料を与えることにしました。

それでもオランダ国王の開国勧告には応じませんでした。

嘉永6(1853)年6月、アメリカ東インド艦隊司令長官ペリーが率いる4隻の軍艦が、江戸湾入り口の浦賀沖に姿を現しました。黒船の来航です。

アメリカは北太平洋で捕鯨や中国への新しい貿易ルートの開拓のため、日本の港で食料や燃料を補給する必要を感じており、開国と通商を求めるアメリカ大統領の国書を幕府の役人に手渡しました。

ペリーは武力を辞さない態度を示し、幕府は翌年への回答を約束したため、いったん退去しました。

老中首席の阿部正弘は慣例を破って朝廷に報告し、諸大名・幕臣にも意見を求めて、国を挙げて難局にあたろうとしました。

しかし、このことは諸大名に幕政への発言機会を与えることになり、政局転換のきっかけとなります。

ペリーに続いてロシアからもプチャーチンが来航し開国を求めました。これを知り、ペリーは安政元(1854)年1月に軍艦7隻を率いて開国を迫りました。

諸大名・幕臣らの間では開国への反対意見が強かったのですが、ペリーの強硬な態度に驚いた幕府は安政元(1854)年3月に日米和親条約(神奈川条約)を結びます。

  • アメリカ船に食料・燃料・水などを供給する
  • 下田、箱館(函館)を開港する
  • アメリカ領事の日本駐在
  • 最恵国待遇(外交上一方的にアメリカに対して最も有利な取り扱いをすること)

ついで幕府はイギリス、ロシア、オランダとも同様の条約を結び、鎖国体制は終わりを告げます。

安政3(1856)年、アメリカ総領事ハリスが下田に着任し、江戸にて将軍に謁見します。

国内には攘夷の気運が高く、幕府は通商交渉の引き延ばしを図りますが、清国がアロー戦争で英仏連合国に敗れると、幕府に条約調印を迫ります。

黒船来航時に幕府はアメリカとの戦争回避を方針としましたが、理性的な選択は、攘夷があるべき姿と考える武士にとっては、政権を守るための正しい方針とはなりませんでした。

歴史においては時代を支配する激情が勝利します。判断が論理的に正しく見えても、時代の波に逆行してしまうと、波に呑まれてしまいます。

老中・堀田正睦は朝廷に勅許を求めましたが、朝廷は条約調印に反対します。

小説の紹介

幕府は大老に就任した井伊直弼の決断により、勅許をえないまま安政5(1858)年6月に日米修好通商条約に調印します。

条約の概要は次の通りです。

  • 神奈川、長崎、新潟、兵庫を開港、江戸、大坂の開市
  • 開港場でのアメリカ人の居留
  • 日米両国民の自由な通商
  • 日米両国の協議による関税の決定(協定関税)
  • アヘンの輸入禁止
  • アメリカ人の犯罪に対するアメリカ領事による裁判(領事裁判権)

関税自主権がなく、領事裁判権を認める点で、不平等条約でした。

万延元(1860)年、幕府は条約批准書交換のため、外国奉行・新見正興を首席全権とし、アメリカに派遣します。

この際に、幕府の軍艦・咸臨丸が勝安房(海舟)の指揮により、随行してアメリカ西海岸に渡ります。

幕府はオランダ、ロシア、イギリス、フランスとも同様の条約を結びます(安政の五か国条約)。

外国との貿易が進み、生糸や茶の輸出が激増し、国内物資の不足と商人の買い占めなどにより、急激な物価上昇をもたらします。

金の銀に対する交換比率が外国では1対15でしたが、日本では1対5だったため、外国人は大量の銀貨を持ち込み、金貨に変えて持ち出します。この結果、大量の金貨が海外に流出し、その額は10万両に達しました。

国内経済は混乱し、幕府は物価抑制を理由に貿易を統制するようになります。

万延元(1860)年、生糸、呉服など5種類の商品は、必ず江戸の問屋を経て輸出することになります。五品江戸廻送令と言われますが、在郷商人や外国人商人の反対で効果はあがりませんでした。

攘夷から倒幕へ

欧米諸国との国力の差を感じた幕府は、教育や各種改革を勧めます。

  • 洋学所(のち蕃書調所、開成所):海外事情の調査や洋学研究・教育
  • 長崎海軍伝習所:様式航海術習得
  • 反射炉の建設:鉄製の大砲を鋳造するため

薩摩や長州、佐賀などでは、洋式軍事技術を導入して軍備の拡充を図ります。

幕府が勅許をえないまま通商条約を結んだことによって、国内の対外危機意識が高まり、反幕府の気運が急激に高まっります。

幕府では13歳将軍家定の将軍継嗣問題が上がっており、薩摩藩主・島津斉彬、越前藩主・松平慶永らが推す一橋慶喜(水戸藩主・徳川斉昭の子)と大老・井伊直弼を中心として譜代大名の支持を得た紀伊藩主・徳川慶福の候補があがりました。

結果として徳川慶福が14代・徳川家茂として跡継ぎになり、一橋派の公家、大名、藩士らを処罰します。安政の大獄と呼ばれます。

安政の大獄では急進的な尊王攘夷論を説いた長州藩の吉田松陰や、多様な人材による政治改革をとなえた橋本左内らが処刑されます。

万延元(1860)年、井伊直弼が桜田門の近くで水戸浪士に暗殺される桜田門外の変がおきます。

この事件は幕府の専制的な政治に大きな打撃を与えます。

老中・安藤信正は朝廷の権威を借りて回復を図ろうとし、孝明天皇の妹・和宮を将軍家茂の夫人として迎えるなど公武合体の政策を進めますが、尊王攘夷論者の非難を浴び、文久2(1862)年に坂下門外の変で水戸浪士に襲われ負傷し、辞職に追い込まれます。

薩摩藩の島津久光は公武合体の立場からの幕政改革を求めます。幕府も、将軍後見職として一橋慶喜、政事総裁職として松平慶永、京都守護職に会津藩主・松平容保をあてるなどの政治改革を行います。

外国との衝突もしばしば起きました。

  • 文久2(1862)年:生麦事件 神奈川に近い生麦で薩摩藩士がイギリス人を殺傷した事件です。
  • 文久3(1863)年:薩英戦争 生麦事件を発端とする事件です。

朝廷は、保守派の公家が会津藩とむすんで、文久3(1863)年8月、急進派公家の三条実美らと長州藩の勢力を朝廷から退けます。八月十八日の政変と呼ばれます。

元治元(1864)年、長州藩は池田屋事件をきっかけに京都に攻め上ります。薩摩、会津両藩がこれを破ります。禁門の変、もしくは蛤御門の変と呼ばれます。

朝敵となった長州藩は第1次長州征討により幕府の征討を受けることになります。

同じころ、四国連合艦隊下関砲撃事件が起きます。イギリス、アメリカ、フランス、オランダが長州藩の外国船砲撃の報復として下関に攻撃を加えます。

長州藩は4か国連合に降伏し、幕府にも恭順の態度を示しました。

討幕運動

長州藩では高杉晋作、桂小五郎(木戸孝允)らが中心となり、藩論を攘夷から討幕へ転換させます。

薩摩藩でも西郷隆盛、大久保利通らが藩政の実権を握り、しだいに反幕府の姿勢を強めます。

両藩は欧米列強の実力を身をもって知り、攘夷から方針を変え、軍事力充実を目的としてイギリスに接近します。

慶応元(1865)年、列強は兵庫に艦隊を送り、条約の勅許を得、翌年には幕府に改税約書を調印させます。

イギリス公使パークスは幕府の統治能力に疑問を抱き、天皇を中心とする雄藩連合政権の実現に期待をかけるようになります。

幕府はフランス公使ロッシュの援助で軍事改革を進め、慶応元(1865)年に第2次長州征討を宣言します。

しかし、薩摩藩は翌年に土佐藩の坂本龍馬、中岡慎太郎らの仲介により薩長同盟を結んで、幕府の出兵命令に従いませんでした。

長州は奇兵隊などを動員し、各地で幕府軍を破りました。幕府は将軍家茂の病死をきっかけに戦闘を中止します。

世直し一揆が各地で起こり、江戸や大阪では打ちこわしが盛んに行われました。

慶応3(1867)年には「ええじゃないか」が流行ります。

社会動揺が深まる中、神道系の民衆宗教が生まれます。備前に黒住教、大和に天理教、備中に金光教などです。

大政奉還

長州再征の失敗後、徳川慶喜が15代将軍になります。

土佐藩の坂本龍馬、後藤象二郎らは、天皇のもとに徳川家を含めた諸大名らが力を合わせて改革する公議政体論を説きます。

これにより前土佐藩主・山内豊信(容堂)は将軍慶喜に政権の朝廷返上を進言します。これを受け入れ、慶応3(1867)年10月14日に大政奉還を申し出ます。

同じころ、薩長の武力討幕派は岩倉具視らと手を結んで討幕の密勅を得ていました。

慶応3(1867)年12月9日に王政復古の大号令が発せられました。

幕府や摂政・関白が廃止され、総裁、議定、参与の三職が置かれ、下級武士出身の実力者が新政府に加わります。

新政府は小御所会議で、徳川慶喜を新政府に加えず、内大臣の官職と辞官納地を命じました。これに対して旧幕府側は不満を抱きます。

参考文献

テーマ別日本史

  1. 縄文時代と弥生時代
  2. 古墳時代から大和王権の成立まで
  3. 飛鳥時代(大化の改新から壬申の乱)
  4. 飛鳥時代(律令国家の形成と白鳳文化)
  5. 奈良時代(平城京遷都から遣唐使、天平文化)
  6. 平安時代(平安遷都、弘仁・貞観文化)
  7. 平安時代(藤原氏の台頭、承平・天慶の乱、摂関政治、国風文化)
  8. 平安時代(荘園と武士団、院政と平氏政権)
  9. 平安時代末期から鎌倉時代初期(幕府成立前夜)
  10. 鎌倉時代(北条氏の台頭から承久の乱、執権政治確立まで)
  11. 鎌倉時代(惣領制の成立)
  12. 鎌倉時代(鎌倉文化)
  13. 鎌倉時代(蒙古襲来)
  14. 鎌倉時代~南北朝時代(鎌倉幕府の滅亡)
  15. 室町時代(室町幕府と勘合貿易)
  16. 室町時代(下剋上の社会)
  17. 室町時代(東山文化)
  18. 室町時代(戦国時代)
  19. 安土桃山時代
  20. 江戸時代(幕府開設時期)
  21. 江戸時代(幕府の安定時代)
  22. 江戸時代(幕藩体制の動揺)
  23. 江戸時代(化政文化)
  24. 江戸時代(幕末) 本ページ
  25. 明治時代(明治維新)
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