赤瀬川隼の「王国燃ゆ 小説 大友宗麟」を読んだ感想とあらすじ

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覚書/感想/コメント

九州のキリシタン大名・大友宗麟の人生を描いた小説です。

戦国時代、多くのキリシタン大名がいましたが、その多くは南蛮文化や貿易で得られる富を求めての俄かキリシタンでした。

宗麟もそうしたところから入ったのかもしれませんが、やがてキリスト教そのものに魅了されていきます。

二階崩れの変という謀反を通じて肉親に対する不信感を強めていく宗麟、そして、キリスト教に興味を示し始める宗麟、妻となった田原親賢の妹との確執、こうしたことすべてが、宗麟を現実の世界から逃避させる動機づけとなっていきます。

そして宗麟が逃げ込んだのはキリスト教でした。一体なぜだったのでしょうか。

例えば上杉謙信のように家臣団をまとめることに苦悩して一度仏門に入ってしまうなど、仏門への逃避行動というのはいくつか例があるようです。

ですが、なぜ、宗麟はキリスト教だったのでしょうか。

九州はキリスト教の伝来が最も早かった地域の一つです。しかも伝来してきたのが既存の仏教とは全く価値概念が違う宗教でした。

その伝来してきたキリスト教は、既存の仏教的な価値から逃げ出したいものにとっては魅力的であったのは間違いありません。

大友宗麟を主人公にした小説は多くはありませんが、遠藤周作「王の挽歌」があります。

大友宗麟が活躍した時代は次にまとめていますので、ご参照ください。

内容/あらすじ/ネタバレ

たしかに悍馬であった。愛馬もそうなら、大友五郎義鎮もそうであった。

父・大友義鑑の加判衆つまり家老職の中で、文武両道に優れ人格高潔の入田親誠が義鎮の教育係を命じられているが、それが義鎮にはしゃくに触って仕方がない。

十六になった義鎮だが、最近、父・義鑑が通り一遍以外のことしか声をかけてこない。というのも、三人目の若い妻を迎え、塩市丸をもうけたからである。

義鎮の母は京の公家、坊城藤原氏から輿入れしてきたという。その母はすでに逝っていた。

富来晋之介実直は十五歳。代々、国東半島に拠点を置く大友の水軍の家系である。富来氏は鎌倉から随伴してきた大友一族以外の御家人の流れで、他紋衆という。一方、大友一族庶家の血を引くのを同紋衆という。

七年前、晋之助は近習として、また学友として召しだされた。

晋之助は考え出したら止まらぬ義鎮をしっている。常人ならあたりまえと思って考えもしない世界に入り込むのだ。

天文十五年(一五四六)。義鎮が一人で霊山に入り秋乃と出会ってから一年半近くになろうとしている。近頃は晋之助を連れ府内を歩く。それは秋乃を探し求めていたのであった。

やがて義鎮に縁談が舞い込んできた。足利将軍家ゆかりの一色京大夫義孝の娘だ。

唐人町にポルトガルの商人が滞在しているという。義鎮はそこでディオゴ・バスと会った。そして初めてキリスト教と触れたのだった。マリア像をみた義鎮の脳裏に浮かんだのは亡き母だった。

一介の商人でしかないディオゴ・バスをして自信を持って義鎮に教えを説く宗教とはいったいなんなのか…。

天文十九年(一五五〇)。義鎮二十一歳。一色家の桜姫を娶って二年になる。

大友義鑑は迷いの中にあった。九州・中国・四国対策は万全である。肝心なのは後継の義鎮だ。義鎮を廃嫡して塩市丸に継がせた方が…。そのために最も動いたのは入田親誠だった。

その頃、義鎮は兵法書を読破し、仏典にふれていた。本当は南蛮の宗教のことをもっと知りたかったが、いずれその機会は訪れるであろう。信仰ではなかった好奇心だ。

義鑑は決断した。義鎮の廃嫡をだ。だが、意に反してこれを重臣たちが止めようとした。義鑑に反抗した重臣たちが襲われた。だが、義鑑も命を落とした。のちに「大友二階崩れの変」という。

義鎮は知らせを受け、呆然と立ちすくんだ。

この変の首謀者であった入田親誠は逃げ、背後には叔父の菊池義武がいる。義鎮の中には血族に対する不信の根が下ろし始めていた。

父、異母弟、その母が非業の死を遂げてから一年半がたった。義鎮は新たな当主となっている。

義鎮は早々に菊池義武を討つことにした。肥後に逃げ込んだ入田親誠も許してはおけない。

結末はあっけなかった。この後すぐに義鎮は桜姫に離縁を申しつけた。同時に、惨事は義鎮の精神を痛めつけ、かつての、いやそれ以上の荒ぶる義鎮にしてしまい、女への見境ない欲望が暴れ始めた。

菊池義武を国外に追い出し、初めての戦に完全な勝利をしても、義鎮の心の中は寒々しかった。肉親の冷酷非情を身にしみて感じていた。

義鎮がその到着を待ちわびている人物がいた。南蛮人だ。パードレ・メステレ・フランシスコ・ザビエル。

そのザビエルは十年前に理想を抱いてリスボンを発った。三十五の時だった。日本は難しい国だ。人々は賢く、教養もあるが、仏教・儒教・神道がまじりあってそれに矛盾を感じていない。

ザビエルは息子ほどの青年王・義鎮に一人では背負いきれない重荷、それは一人の人間としての重みがかかっているような気がした。

義鎮はザビエルから数日間にわたって教理の説話を聞いた。そして義鎮は、これは命令の書だ…と思った。両刃の剣だ。絶対の力で人の心をとらえる面と、従わない国を力で征服する面。

陶隆房が大内義隆に謀反の兵を挙げた。

義鎮は弟・晴英を思った。晴英は大内家に行くことになっていた。一方で晴英は物心がついていらい、兄・義鎮が怖かった。晴英は大内家に行くことになった。

義鎮は晋之助を富来城に戻した。水軍の固めをしてもらうためである。九州の平定には必要ないが、中国の毛利を考えてのことである。

義長と名を変えた晴英のいる山口にキリスト教のすべてが集まり始めていた。

晋之介実直に謀反の知らせが届いた。府内での出来事だ。一万田弾正忠が起こしたようだ。さいわい義鎮は逃げている。謀反の動機が分からない。

だが、ほどなくして義鎮の女狂いのせいであることが判明してきた。人妻にてを出したのだ。

義鎮は田原親賢の妹・舞を妻に迎えた。実家は奈多八幡である。

舞を正室に迎えてすぐ、待望の教会堂ができ、府内で初のミサが行われる。義鎮は洗礼は受けなかった。領主としての配慮が働いたのは当然だった。

陶晴賢が厳島で毛利元就に大敗した。弟の大内義長も殺された。

それまでの間、またも謀反が起きた。義鎮の同紋衆重用にたいする他紋衆の不満爆発である。

義鎮は九州六カ国の守護職を一身に集めていた。家督を継いでから十年。名実ともに島津領を除く全九州の覇者となった。

他紋衆の反乱以後、大友一族の結束をはかり、家臣たちの尊敬と信頼を集めていた。そしてキリスト教の布教にも目覚ましいものがあった。

毛利元就が門司城を奇襲して占領した。門司奪回の作戦に打って出たが、なかなか落ちない。

舞がキリスト教に興味を向け始めた。それは邪教として非難する方向の関心だった。その舞を見て義鎮は、自分の周囲が静謐であればいいと思った。

義鎮は出家することにした。名を宗麟とする。それに伴って府内から臼杵に住まいを移すことにした。すべては舞から逃れるためであった。

宗麟を悩ますのは毛利元就だけではなかった。肥前の竜造寺隆信もそうであった。

その隆信を討つために肥前をめざした。永禄十二年(一五六九)のことである。

佐嘉城陥落してすぐ、毛利が進発してきた。これに宗麟はある対抗策を練っていた。

翌年、毛利元就が死んだ。

南の島津義久が不気味である。

その中、宗麟は家督を長子の義統に譲った。その下の息子を禅寺に入れようとしたが、受け入れようとしない。かえってキリスト教に興味を示す。これが舞を刺激した。追い打ちをかけるように田原親賢の養子もキリスト教にのめりこんでいった。

宗麟夫婦の離婚は免れがたい状態になったが、宗麟は自分が城をでることで解決の道を探ろうとした。そこには戦国武将としての心構えのひとかけらもなかった。ひたすら自己の安心立命を求めていた。

出た先の屋敷には一人の女がすでにいる。刀女という。

宗麟の親戚である伊東義祐が島津義久に追われ亡命してきた。宗麟は領土回復のための軍を発した。

そうりんは島津を制圧し、その地に全く新しいキリシタンの国を作ろうと考えていた。

豊後に近い務志賀にその聖地にすることに決めていた。だが、島津との戦いは大友の完敗だった。死屍累々、戦死者は五千を超えた。

七年後。宗麟は大坂城にいた。宗麟にはもう秀吉にすがるしか道は残されていなかった。

本書について

赤瀬川隼
王国燃ゆ 小説 大友宗麟
人物文庫 約三一五頁

目次

第一章 血族
第二章 両洋
第三章 覇者
第四章 王国へ
あとがき
文庫版あとがき

登場人物

大友宗麟(五郎義鎮)
富来晋之介実直
大友義鑑
お文…後妻
塩市丸
入田親誠
観海和尚
桜姫
菊池義武
大内義長(晴英)
刀女
秋乃
ディオゴ・バス
フランシスコ・ザビエル
ファン・フェルナンデス
トルレス
アルメイダ
田原親賢

毛利元就
竜造寺隆信
島津義久

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